「我思うゆえに我あり」
とはデカルトの有名な言葉で、
私も以前は大好きなフレーズでした。
しかし脱力修練を続けていると、
少し異なる感覚を感じるのです。
それを言葉にすれば、
「我思わざるところに我あり」
ということ。
これは残念ながら私の言葉ではありません。
練気武颯拳を創始した、
島田明徳宗師範が語ったことの一部です。
宗師範がこの言葉にどういう思いを込めたのか、
私のレベルではそれを推し量ることは出来ません。
ただ毎日の修練において私が感じているのは、
「今の感覚では見つからないもの」
を修練しているということ。
これは茂呂師範からも事あるごとに言われるのですが、
「今の感覚の延長線上を求めてはいけない」
のです。
例えば私が、
「肩の力を抜く」
という感覚をある程度つかんだとします。
その結果、
今まで出来なかったことがスムーズに出来るようになります。
すると、
「この感覚を繰り返し練習すれば、もっと上手くなる」
と考えて、
同じことを繰り返し練習する。
おそらく一般的には、
これが上達の方法だと思われているでしょう。
少なくともこれを間違っているとは、
ほとんど言われることがないと思います。
ですがこれは脱力修練において、
「間違い」
なのです。
肩の力が抜けたことは、
今までの自分に比べれば上達しています。
それは、
今までの感覚に無いものをつかんだから。
ですが、
そこに甘んじてはいけないのです。
例えばスポーツの本などで、
「肩甲骨を動かす」
と書かれていますが、
それはあくまで、
「肩甲骨が動かない人」
にとっての上達なのです。
「肩甲骨が動く人」
にとっては、
さらに鎖骨や肋骨周りの力を抜くことで、
上達したと言えるのです。
つまり大切なことは、
「今の自分に無い感覚」
を修練していると、
「自覚」
すること。
だから脱力修練には、
「師」
が必要なのです。
自分独りの修練では、
今の感覚の延長線上にあるものしか身に付きません。
自分とは違う世界の感覚に触れることで、
はじめて新世界への扉が開くのです。
「お腹の中を動かしたら腕が動く」
なんて、
今までの私が感じている「自分」には無い感覚でした。
「我が思っている我」
では見つからない感覚を求める修練が、
脱力修練なのです。
だからやっぱり、
「我思わざるところに我あり」
となるのです。
P.S.
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