1月29日の武颯塾大阪支部集中修練に参加してきました。
練気武颯拳、練気杖術ともに充実した修練内容だったのですが、
最も印象的だったのは、練気柔真法の時間でした。
この時間の修練は「基礎の基礎」といった感じのことだけを徹底して行います。
今回は「腕を掴まれて持ち上げられる」、
「腕を掴まれた状態で相手を動かす」といったことを、
掴む人数を1人、2人、4人と増やしながら行いました。
もちろん、ただ持ち上げられなかったり動かせたりすればいいというわけでなく、
修練の都度、師範から意識するポイントを指示してもらいます。
では今回指示してもらったポイントは何かというと…
「何もしないこと」です。
腕を持ち上げられるときにも、相手を動かすときにも、
とにかく「何もしない」ということを要求されるのです。
これが本当に難しい。
当たり前ですが、師範の腕は持ち上げられないし、
いとも簡単に4人を動かしてしまいます。
ところが同じことを私たちがやろうとすると、
「持ち上げられないように」「動かそうと」してしまうのです。
それを、やめる。
「持ち上がらない」「動かす」という目的意識を持ったら、
あとは自分に起きていることを観察し続ける。
すると、身体が動き出します。
元々誰もが持っている自然な動きで。
この動きを生じさせている力は、
私たちが普段認識している力とは全く質の異なるものです。
このように身体の自然に身を任せて、
この「力」をいつでも自在に使えるようになった人のことを、
練気武颯拳においては「達人」と呼びます。
そうなるためには、話は戻りますが、
自分を観察し続けなければなりません。
「何かをされる」、あるいは「何かをする」時に生じる、
「思い」を手放す必要があるのです。
ここに練気武颯拳の修練の面白さと、
難しさがあります。
ただ、腕を持ち上げられるだけなのに、
そこにはものすごい葛藤が生じます。
自分の中で、
様々な思いがムクムクと湧き出てくるのです。
N先輩の言葉を借りれば、
「濃密なドラマがある」のです。
そして振り返ってみると、この「ドラマ」「葛藤」は、
修練に限らず日常のどこにでもあります。
そういう意味では練気武颯拳の修練は、
「日常に活きる」修練だと改めて思います。