脱力と3Dアート:10/12修練メモ

脱力と3Dアート:10/12修練メモ 

こんにちは、ワタルです。

今回は、「脱力と3Dアート」というタイトルで、

昨日の武颯塾大阪支部集中修練について、

簡単にまとめながら振り返っていきます。

 

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昨日の練習内容

武颯塾は「総合武術道場」と銘打っているのですが、

その練習内容は普通の人が考える「武術」から大きく離れています。

実際、昨日の修練において行ったことと言えば、

・腕の動かし方

・寝転び方

・歩き方

の3つだけですw

もちろん同じことを5時間以上もずっと行ったわけではなく、

例えば腕の動かし方であれば、

「上下」「前後」「左右」と方向を変えたり、

あるいは様々に負荷の掛け方を変えながら行います。

ただ、こうやって文章で書いてみると、

「何が面白いの?」

という疑問が湧いて当然だとも思います。

やっている当人としては面白くて仕方がないので、

ここに大きなギャップがあると常々感じています。

というか、歯がゆくてしょうがないw

そこでこのギャップがどこから生まれるのかについて少し考えてみました。

その答えの一つが「脱力と3Dアート」なのです。

 

3Dアートの思い出

私が中学生だった頃なので、もう20年以上も前になります。

「3Dアート」が描かれているという下敷きを、

クラスメイトの女子に見せてもらいました。

(こういう珍しいものは大抵、女子が持ってきますよねw)

それは一見すると何の意味もない模様なのですが、

目の焦点をずらすことで絵が浮かび上がってくるというものです。

近くの席の友達が集まって次々と下敷きを廻して試すのですが、

最初はなかなか見ることができません。

だんだん目が疲れてきて、

「もういいっ!!」

と、隣の席に渡してしまう。

ですが繰り返し挑戦していると誰かが、

「あっ、見えた!!」

と言いだし、そこからは次々とみんな絵が見えるようになる。

おそらく、多くの方が経験しているのではないでしょうか。

私も初めて絵が見えた時の驚きと嬉しさはなんとなく覚えています。

 

見える人と見えない人

そんな3Dアートの特徴は、

「目の焦点をずらす」という方法を知らない人にとっては、

ただの無意味な模様でしかないということです。

そこに別の何かが描かれていると教えてあげても、

その人が見ることができない限り、

「そんなものは描かれていない」

と言われるだけでしょう。

(もちろん一般的な知識として「3Dアート」を知っていれば、

自分が見えていなくてもアタマでは理解できるかもしれませんが。)

この、

「見える人にはとっては在るけれども、見えない人にとっては無い」

というところが「脱力」による力の特徴の一つなのです。

 

脱力と3Dアート

昨日の集中修練の内容は、

・腕の動かし方

・寝転び方

・歩き方

の3つだけだったと書きました。

これらを見て面白くないと感じるのは、

3Dアートにおける「意味のない模様」の方を見ているから。

今までの自分が何十年と繰り返してきた運動のやり方でこれらを見れば、

それはどう考えてもつまらない日常の繰り返しでしかありません。

けれども「脱力」による運動が少しでも実感できるようになると、

外見上は同じ運動に見えても、

中身は全く違ったものになります。

3Dアートに描かれているものは同じなのに、

見る人によって別のものが見えるように。

そこに脱力修練の醍醐味があるのです。

3Dアートは、見えない人にとっては無意味な模様しか描かれていない。

しかし見える人にとっては模様と同時に、

絵を発見する喜びも描かれている。

脱力による運動を学ぶことも同様に、

単なる日常動作の中に感動を発見する手掛かりとなるのです。

 

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