「歩く」ことの難しさ

「歩く」ことの難しさ

12月3,4,5日は、
武颯塾東京本部道場での冬期合宿に参加してきました。

私が武颯拳を習いだしてから初の冬期合宿。
しかも道場に2泊。

980円の寝袋で本当に眠れるのだろうか?
早朝の修練は寒さに震えながらするのかな?

そんな心配も多少あったのですが、
全くの杞憂に終わりました。

道場のエアコンはしっかりと働いてくれたし、
朝の寒さも随分と和らいでいました。

そんな恵まれた条件もあって、
集中して取り組むことができた今回の合宿。

修練においても多くの気づきを得ることが出来ました。

その中でも最も印象に残ったのが、
「歩く」ということの難しさです。

何らかの理由で歩けない人を除けば、
これほど一般的な運動もありません。

毎日数千回以上、
日常的に繰り返しています。

当然のことながら、
普通は歩くことが「難しい」とは思わないでしょう。

ところが。

修練をしていると気づくのです。

歩くことが意外と「難しい」ということに。

もちろん、ただの移動手段として歩くことを捉えると、
それほど難しいものではありません。

ですが、歩くという行為の本来的なプロセスと、
そこから生み出される途方も無い力の一端に触れてしまうと、

俄然認識を改めざるを得ません。

歩くことは、「難しい」。

言い方を変えれば、
「高度な運動」だということです。

まずは、自分の重心に身体を任せきる。
そして、身体を任せ切ったままの重心を動かす。

歩くという動作のどの段階においても、
重心の移動がブレず途切れず行われる。

それができると、
前から力いっぱい押さえられてもスススッと進めるような、

押している側にすると、
「地面を押している」としか思えないような力が働くのです。

修練の形としては、
「取り」が片足に完全に重心を載せた状態で、
もう一方の足を前に出します。

その形のまま両手を前に出して、
そこを「受け」が両手でしっかりと押さえます。

「取り」はその状態から、
重心だけを前に進める意識で歩き出します。

上述したような重心移動が正しくできていれば、
地面からくる前方への力が発揮され続けます。

歩いているどのタイミングで押さえられても、
同じように進み続けられるのです。

このような修練を3日間、
みっちりと行ってまいりました。

客観的に観ると大変地味な修練なのですが、
今までの自分では考えられないような、

質の違う、大きくて、それでいて楽な「力」が、
体の中を通っていく感覚は、

それだけで何とも言えない喜びを感じさせてくれます。

P.S.

RESETSTYLEでは、
脱力を基本とする武術的身体トレーニングを行っています。

一般的な武道においてイメージされるような、
先輩後輩の上下関係は一切ありません。

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身体コントロール技術を楽しく学ぶための場所です。

当然、直接殴ったり蹴ったりすることもなければ、
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