脱力することの意味

先日、ほとんど身内ばかり7人を集めて、
脱力するための体操教室を開いたと記事にも書きました。

「脱力」に初めて触れるメンバーばかりの中で、
比較的上手く進行できたと自画自賛していたのですが(笑)、
一昨日、そのうちの一人から次のような質問がありました。

「脱力することで、何の役に立つの?」

これはおそらく誰もが感じる疑問であるとは思う反面、
そういう問題ではないと感じる部分でもあります。

ただ、そこをはっきりとお伝えしていかないと、
本当の意味での「脱力」が広まることはないでしょう。

というわけで、

「脱力することの意味」

について書きたいと思います。

私自身が「脱力」の修練をしている途上であり、
師の教えをなかなか実践できないでいるのですが、
そんな中でも一つ言えることがあります。

それは、

「身体は本来脱力して扱うもの」

だということ。

そう言われても、
ピンとこないですよね。

例えば。

あなたの身近な人が車を買ったとします。

とても喜んでいる様子なので、
「せっかくだから動かしてみてよ」
とあなたは声を掛けます。

「わかった」と返事をしたその人はおもむろに、
車を後ろから必死に押して動かします。

実はその人は信じられないほどの怪力の持ち主で、
車を押しても引っ張っても動かせるのです。

驚いたあなたは、
「スゴイですね!!」
と声をあげます。

ところが。

その人は車を押したり引いたりしているばかりで、
一向に運転しようとはしないのです。

最初は驚いたあなたもさすがに飽きてきて、
「スゴイのはわかったけど、そろそろ車が動くところも見たい。」
と言います。

でもその人の返事は、
「さっきから動かしているよ。」

あなた「いや、そうじゃなくて、運転して見せてよ。」

その人「だから、車を動かしているじゃない。」

…非現実的なたとえではありますが、
もしあなたがこのような場面に出くわしたら、
どう思いますか?

「車って、必死になって押したり引いたりするものじゃなくて、
ハンドルやアクセル、ブレーキなんかを使って運転するものだから。」

このように言いたくなりませんか?

車だと、

「必死に押したり引いたりするのは馬鹿げてる」

と思いますよね。

では、人の身体はどうですか?

「必死に押したり引いたりするのは馬鹿げてる。」

とは思いませんか?

「人と車は違う」
という方もいるでしょう。

でも、

「使い方が間違っている」

という意味においては同じなのです。

ただ、車については

「ほとんどの人が本来の使い方を知っている」

のに対して、

人の身体については

「ほとんどの人が本来の使い方を知らない」

というだけです。

もし、あなたの周りの人すべてが車を押して動かしていたとしても、
それで車の本来の動かし方が変わるわけではないですよね?

やはり車は運転するもののはずです。

同じように、ほとんどの人が本来の使い方を知らないという現状においても、
身体本来の動かし方が変わるわけではないのです。

だから、

「脱力することで、何の役に立つの?」

という質問には本当は次のように答えたいのです。

「それが本来の身体の使い方なのですよ。」

おそらく、あまり喜ばれない回答ですね(笑)

先にも書いた通り、
私自身が全然正しく動けてはいない状況です。

車に乗り込んでエンジンをかけて、
アクセルを踏んだけれどものろのろとしか動かない。

よく見るとローギアでサイドブレーキは引いたまま、
さらにアクセルとブレーキを一緒に踏んでいる。

結果だけ見ると、
偉そうなことは全く言えない現状です。

実際のところ外から押したり引っ張ったりしている人で、
私よりも早く車を動かしている人もいます。

(私自身が外から車を動かすよりは、
幾分早く動かせるようにはなりましたが)

ただ、少し未来に目を向けてください。

必死に筋トレをして車を外から動かすのか、
今は頭を悩ませて運転の仕方を学ぶのか。

あなたはどちらを選びますか?

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「歩く」という修練

先月の武颯塾の修練テーマは、

「運歩(歩き方)」

でした。

「歩く」という運動は、
日常で最も数多くおこなわれるものであり、
人が行うすべての運動の基本になります。

この「歩く」という運動が上達する程に、
武術・スポーツ・芸事のジャンルを問わず上達します。

その証拠に古来多くの芸事において、
「歩き方」の修練がありました。

ファッションモデルのウォーキングも、
頭に本を載せて練習すると聞いたことがあります。

現代スポーツの世界では競技特有の動きに特化して練習することが多く、
「歩き方」については少しおざなりになっている気もしますが…。

ただそれでも一流と言われるアスリートのほとんどが、
颯爽と歩いているのも事実です。

そんな、運動の根幹ともいえる「歩行」。

ケガその他の事情で困難な人を除けば、
ほとんどの人ができている「はず」の運動。

ところがそこには、
本当に奥深い世界が広がっていたのです。

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脱力した腕をどうやって動かすのか?(その2)

引き続き、

「脱力した腕をどうやって動かすのか?」

について考えていきます。

前回記事の最後で、

「腕はなぜ落ちるのか?」

という質問をしました。

答えは簡単ですね、

「重力が働いているから」

です。

立っている状態で挙げた腕は、
力を抜くと重力に引っ張られて下に落ちる。

ですが、落ち続けるというわけではありません。

腕が伸びきったところで止まります。

これも当たり前ですね。

腕は肩についているのですから、
肩が落ちてこない限りはそれ以上落ちません。

言い方を変えると、
肩が腕を支えているから伸びきった腕はそれ以上落ちない、
ということになります。

だとすると、
腕を支えている肩に上向きの力が掛かれば、
腕が動きそうですよね。

ただここでその言葉のまま肩を挙げてしまうと、

「肩の力を抜きなさい」

って言われてしまいます(笑)

ではどうすればいいのか。

肩を挙げずに、
肩に上向きの力を加える方法。

そんなものが本当にあるのでしょうか?

もちろんあるのです。

その方法の一つが、

「胸を落とす」

というものです。

先ほど、
腕を支えているのは肩であると言いました。

では、腕を支える肩はどのように支えられているのか、
というと胸が支えています。

それなら、胸はどこが?

このように考えていくと結局は、

「立っている身体は、足裏を通して地面が支えている」

ということがわかります。

挙げた腕も。
落ちた腕も。
力んだ腕も。
脱力した腕も。

みんな地面からの抗力で支えられているのです。

作用反作用の法則により、
立っている状態では抗力と重力は等しくなります。

重心の位置を変えずにどこかが落ちると、
その分どこかに上向きの力が働くのです。

この原理を腕に当てはめると、

「肩を動かさずに胸を落とすことで腕が挙がる」

ということになるわけです。

もちろんこれは、
修練の解釈の一つです。

「ジェットコースターで落ちるとき」

とか、

「足を固定された状態で思い切りジャンプしたとき」

に腕が挙がるという側面からも解釈が成り立つと思います。

こうやっていろいろと考えてみるのも、
武颯拳の修練の面白さだと感じています。

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