修練生から重要な疑問を聞いたので、
現時点での回答をここに書くことで、
脱力修練についての基本的な考え方を共有したい。
疑問「脱力修練に来るようになって数年、
色々な形や切り口で修練をしてきた。
もちろん散発的な参加だからという理由もあるが、
それぞれの形や切り口の関係性や優先順位を、
自分の中で整理出来ずにいる。
様々な修練をどう整理すればいいのだろうか?」
この疑問は、自分の経験上もとてもよく分かるし、
「どんなことやってるの?」
と訊かれたときに答えにくい理由でもある。
例えば武道であれば、
剣道、柔道、空手、合気道。
それぞれ流派は様々あっても、
基本的なルールや枠組みがあって、
その中での技術体系を学んでいく。
これはスポーツに置き換えても同じ。
ただ、武颯塾で学んでいる脱力修練は、
こういうものではない。
では一体何を学んでいるかというと、
私たちのレベルにおいては、
「重力を筋力に代わる力の発生源として使える」
ことを目指して学んでいる。
そしてそのためにはまず、
「全体重を自分の力としてコントロールする感覚」
を身につける必要がある。
重力は物理法則に則って働くので、
当たり前だけど客観的に存在する力。
重力を力として使うためには、
物理法則に素直に従って動けばいい。
だけど人がカラダを扱う感覚は、
その人だけが感じる極めて主観的なもの。
その主観的な感覚自体が物理法則とズレているから、
重力を自分の力として使えていない。
脱力修練で伝えたいのは、
重力という客観的かつ普遍的な力を扱うための、
感覚という極めて主観的なもの。
それは極めて主観的なだけに、
直接伝えることができない。
出来ることは様々な形や切り口で、
指導する側の感覚を相手に再現させてあげること。
もちろん全く同じものを再現することも、
それを確認することも出来ない。
ただ、その再現度や確率が上がるように、
形や切り口を工夫するだけ。
つまり重要なのは、
より物理法則通りに動けたときの感覚であって、
形や切り口そのものではない。
極端な話、
修練の形や切り口に関係性や優先順位も必要ない。
どんな感覚でどこにどれだけの力が働いたのか。
客観的に働いた力と、主観的に感じた感覚。
これらをつなげていくことが、
私たちのレベルにおける脱力修練だと今は思う。
以上が冒頭の疑問への私なりの回答。
ちなみに話をしてくれた修練生は、
修練会開催当初から数年の付き合いがあり、
今回、ビジネス上の必要性を含めて問題提起してくれた。
いつもありがたく思っています。