「変化に対する抵抗」をやめる

こんにちは、ワタルです。

今日は「感情」をテーマに、

「変化を受け入れる」

ということについて書いていきます。

武颯塾の脱力修練には、

「感情をどう扱えばいいか」

ということに対する答えと、
その為の修練方法があります。

最近やっとそのことが腑に落ちたので、
ぜひ多くの人に知ってもらいたいのです。

私自身が武術修練を続けている中で、
「感情」はとても大きなテーマです。

もちろん入門当時はそんなことは全く考えておらず、
ただただ強いパンチを打ちたいだけでした。

ですが修練が進むにつれて、
結局は自分自身と向き合わざるを得なくなりました。

実は「力を抜く」という行為自体が、
本当の意味で感情をコントロールすることを求められます。

「脱力」で強いパンチを打つことと、
「感情」をコントロールすることは、
本質的に同じことなのです。

このことについて少し説明します。

普通の筋力でのパンチしか打てない人は、
残念ながらただ力を抜いても強いパンチは打てません。

なぜならそこには一つの勘違いがあるから。

その勘違いとは、

「相手からの抵抗や反作用を『力』と思っている」

というものです。

この勘違いがなくならないと、
脱力による力を認識できません。

脱力による力は透徹する力なので、
上手くなればなるほど反作用は少なくなります。

だから強いパンチを打とうとして大きな反作用を求めることは、
脱力して強いパンチを打つこととは正反対のことなのです。

そしてこの勘違いと全く同じものが、
実は「感情」にもあると気づきました。

ここからが今回本当に書きたいことなのですが、
少なくとも私は「感情」というものに対して思い違いをしていました。

たとえば腹が立つことがあったとします。

胃の辺りがムカムカして、
キューッと固くなってくる。

この感じを、

「怒り」

だと思っていたのです。

ところがこの時の自分自身をよくよく感じてみると、
「ムカムカキューッ」の前に起きている事があります。

それは身体の中が大きく動こうという、
「うねり」や「波」の発生。

それらは発生すると同時に、
身体全体に何らかの「変化」を要求します。

ところが私たち、少なくとも私は、
この「変化」が怖い。

怖いから、すぐに抵抗して抑え込もうとします。

この「変化に対する抵抗感」が、
「ムカムカキューッ」として感じられる、
「怒り」の正体なのです。

ということは、

「変化に抵抗することをやめる」

ことができれば、
少なくとも今感じているような「怒り」を感じることはなくなる。

もちろん不愉快な出来事は起こりますが、
今とは違う「感じ方」になるのです。

その為のキーポイントが、

「変化を受け入れる」

ということなのです。

私自身が気づいたばかりなので、
まだまだ「変化」に対して抵抗をしてしまいます。

「うねり」が身体中を駆け巡る感覚に、
慣れていないのです。

ですが繰り返し修練することで、
少しずつ慣れていく。

自分で必死に抑え込まなくても、

「放って置いたら大丈夫なんだ」

という感覚が育ってくるという確信はあります。

だから、修練が面白い。

「感情」のような形の無いものを扱うトレーニングは、
どうしても観念的なものになりやすいです。

「出来たという思い込み」

が生まれやすいのです。

しかし武術という身体を使った修練ですから、
そういった問題はありません。

思い込みで技は掛かりませんからw

「身体から心を変える」

そんな修練が、
やっと出来るようになった気がします。

P.S.

もっと多くの方に来て頂いて、
より幅広く学べる環境。

さまざまな取り組みをされている人たちが、
「脱力」というキーワードで交流できる場所。

武颯塾大阪支部と神戸修練会を、
そんな場所にしていきたいと思っています。

このブログを読んで興味をお持ちでしたら、
ぜひ、ご連絡ください。

修練参加でも、質問でも何でも結構です。

ピンとくるものがあれば、
遠慮なくメールをください。

musou-tensei@eurus.dti.ne.jp

楽しみにしております!!

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太極拳において目指す身体の在り方が映像で見られます。
「太極拳・基本練功 第1巻 発勁体得 [DVD]」

「脱力」について興味のある方はこちらをご覧ください

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「呼吸」をやめてみる

こんにちは、ワタルです。

最近の脱力修練では、

「やめる」

ということがテーマになっています。

腕を上げていることをやめるから腕が落ちる。

立つことをやめたら、
力を抜いて自然に立てる。

考えることをやめたら、
身体が素直に動く。

言葉にすると矛盾することばかりですが、
そういう「感覚」に馴染むよう修練しています。

そんな中で気づいたことの一つが、

「呼吸」

についてです。

日常の些細なことで感情が揺れ動く自分。

そこから抜け出すためのヒントが、

「呼吸」

にあるのではないか。

そう感じるようになりました。

今回はそのことについて書いていきます。

武颯拳の具体的な修練における大基本が、

「養体(ようたい)」

と呼ばれるもの。

これは様々な姿勢で押されたり持ち上げられたりしながら、
身体本来の在り方を感じ取る修練です。

ただ動かないとか持ち上げられないということが目的ではなく、
そのとき自分の身体に何が起きているのかを、
より深いところまで追求していきます。

その最中に気づいたことが、

「呼吸の乱れ」

なのです。

何か負荷をかけられるときに、
よくよく自分の反応を観察してみる。

すると必ずといっていいほど、
呼吸が変化する瞬間があるのです。

この変化は例えば息をとめるとか、
大きく吐き出すといったものではありません。

呼吸そのものは続けていても、
その「質」が変わるのです。

自然な呼吸から、
不自然な呼吸へと。

そこで、

「呼吸をやめてみる」

のです。

といっても別に息をとめるわけではありません。

私たちは普段、
意識していなくても呼吸をしています。

ところが呼吸を意識した途端に、
自然な呼吸ではなくなるのです。

それは今の自分が呼吸という行為をしてしまうから。

そこで、呼吸に意識を向けながらなおかつ、
呼吸することをやめてみる。

それは、

「自分で自分の呼吸を乱している」

ということをやめること。

これを実感として言葉にすると、

「呼吸をやめる」

という表現になるのです。

呼吸を乱すことをやめて自然な呼吸になれば、
身体は本来持っている強さを存分に発揮してくれます。

少々の負荷なんて、
全く問題になりません。

そしてそういう状態においては、

「感情」

もそう簡単には揺らいだりしないのです。

つまり日頃の些細なことで揺れ動いてしまう自分は、
自分が呼吸を乱すことでつくりだした自分。

それをやめることができれば、
今よりももっと強くなれるのです。

私自身も修練の途上にありますが、
その面白さをもっと伝えたいと思っています。

ぜひ、一緒に修練をしましょう!!

P.S.

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「武医同源」

こんにちは、ワタルです。

今日は武術と整体の共通点について書きます。

私が修練している武術は、

「練気武颯拳」

「陳式太極拳」

の二つです。

元々の源流が同じなので、
別々の修練をしているという感覚はありませんが。

これらはいずれも、

「脱力」

をメインテーマとして修練します。

具体的にはある姿勢や動作において、

「負荷をかけられた状態で力を抜く」

という修練を主に行います。

今の自分が使っている力を抜くことで、
身体が本来持っている動きを引き出そうというわけです。

そしてこれは、
少しやり方を変えればそのまま整体になるのです。

なぜなら整体の目的も、

「身体が本来持っている動きを引き出す」

というところにあるから。

武術においては負荷をかけながらやることを、
整体においては補助しながら行う。

要はアプローチの方法が違うだけなのです。

実際武術の指導をするときは、
動きを後ろから補助してあげることも多い。

補助しながら、
身体が本来動きたい方向に動かしてあげるのです。

これってよく考えれば、
整体そのものなのですね。

だから武術の指導ができるということは、
イコール整体も出来るということ。

「肩の力を抜く」

ということ一つを例に取っても、
負荷をかければ武術の修練になるし、
補助してあげれば肩こりの治療になる。

そういう意味において、
武術と整体は表裏一体なのです。

まさに、

「武医同源」

というわけですね。

$~脱力の極意を求めて~-sinkyuuseitai

自分がいなくなっても「自分」はいる

こんにちは、ワタルです。

昨日は武颯塾大阪支部の修練日。

それぞれの事情により参加人数は少なめでしたが、
それでも内容の濃い修練が出来ました。

最近何度も書いていますが、
今の修練は「やめる」ということをテーマにしています。

今までは、

「力を抜いて重みを流す」

ということがメインテーマであり、
それを「脱力」と言っていたわけですが、
今はそれさえも、

「やめる」

のです。

言葉で表現するのがとても難しいのですが、

「力を抜くことをやめると、

もっと力が抜ける」

という感じでしょうか。

おそらくこの文章では伝え切れていないと思うのですが、
この修練が本当に面白い。

もちろんこれまでも面白いと思っていたからこそ、
修練を続けてきました。

ですが、今感じている面白さは「別格」です。

それは、この先に広がっている可能性の大きさを、
一時的にですが垣間見たから。

今の自分が「している」ことを「やめる」

それが少しでも出来たとき、
体はこれまでにない一面を見せてくれます。

それは以前には無い動きや力、感覚として、
身体内外に表現されます。

今の私にはそれが「特別なこと」として感じられたのですが、
本来はそれも、

「元々もっているもの」

なのです。

だから力を抜いて、

「今の自分をやめる」

ことができれば、
必ずそこにたどり着ける。

それがハッキリと感じられるから、
修練が楽しくて仕方ありません。

今の私のレベルでこんなことを言うのはおこがましいですが、
あえて言います。

「自分がいなくなっても『自分』はいる」

このワクワク感というか、開放感というか、
なんとも言葉にしにくい喜び。

これを一緒に感じられることが、
修練の一番の楽しさかもしれません。

ぜひ一度、
無料体験に来てください。

もちろん力を抜いた感覚が面白くないという人に、
無理に次も来るようにとは言いません。

ただ、その感覚を感じてから判断して欲しいのです。

よろしくお願いします。

P.S.

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「行為」と「状態」を分ける

前回の記事では、

「やめる」

ということについて書きました。

そしてその為には、

「している」

ことを知る必要があるとも。

今回はその、

「している」

ということについて書いていきます。

また、腕を上げるという動きを例にとります。

この腕を上げるというときに、
あなたは何をしていますか?

「腕の筋肉を使っている」

「肩の筋肉で上げている」

「背中や腰の力で上げている」

たしかにいずれも、
あなたがしていることには違いありません。

筋肉を収縮させて力を出して、
腕を上げる。

この場合、筋肉の収縮が「行為」で、
腕が上がるのが「結果」ですよね。

ですが、
あなたがしていることはそれだけではありません。

というわけで次の質問です。

筋肉を収縮させるときに、
あなたは何をしていますか?

理屈では分かると思います。

脳から筋肉に対して、
神経を介して指令を伝えているのです。

でもこれって、
頭で分かったからといっても、
やめられないですよね?

それを「しない」という選択は出来ます。

そもそも腕を上げようとしなければいいわけですから。

でもそれは、
筋肉を収縮させようとしている脳の指令を感じて、
それを「やめる」ということとは全く違います。

ですが脱力修練においてやめたいのは、
この脳からの指令なのです。

筋肉が収縮するという「結果」を引き起こす、
脳からの指令という「行為」

それを感じて、認識して、やめる。

今、私たちが師範から求められ取り組んでいるのは、
このようなことなのです。

そしてその為に、
力を抜いて動くことを修練しています。

少なくとも私の認識している範囲においては。

これは言葉を変えれば、

「行為と状態を分ける」

ということを行っているとも言えます。

私たちは身体を動かすときに、

「動かすという行為」と、

「筋肉の収縮という状態」を、

混ぜこぜにして認識しています。

それらの「行為」「状態」が、
癒着してしまっているのです。

だからこそまずは力を抜いて動けるようになることで、
そこを分ける必要があります。

力み感覚というノイズを極力排除することで、
動かすという「行為」自体をより純粋なものに近づける。

それによって初めて、
やめるべき対象としての、

「している」

ということが分かるのです。

P.S.

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身体に起きている事は、自分がしていること

こんにちは、ワタルです。

今日は、

「やめる」

ということについて書きます。

これは、
今の私たちの修練テーマです。

そしてこれを理解することが、
次のステップに進むための鍵となります。

今、自分が行っていること。

例えば立っていることや、
歩いていること。

これらを一度、
やめてみる。

立つという感覚、
歩くという感覚。

それがどういうものなのかが分かったら、
それ自体をやめてみるのです。

そうすることではじめて、
本当の意味で「力が抜ける」のです。

それは表面的な筋肉の力を抜くだけではなく、
もっと内側の力みを取り去るということ。

その為には、
今の自分の感覚そのものをやめる必要があります。

ですがここに、
脱力修練の難しさがあります。

何かをやめる為には、
それを行っているということを認識しなければいけません。

何かをしている自分を感じられるからこそ、
それをやめることができるのです。

したがって武颯拳の修練は、
どうしても地味な動きになります。

大きく派手な動きにおいては、
どうしても動きそのものに意識をとられてしまうから。

だからこそなんでもない動きを使って修練します。

例えば片腕を上げるといった動作。

この時の左右の感覚の違いを感じることで、

「腕を上げるために自分は何をしているのか?」

ということを認識する。

こういう自分にとって当たり前すぎることほど、
それを認識することが難しいのです。

だからこそ地味な動きの中で、
じっくり自分の身体と対話する。

身体の中で起きていること、
つまりそれは自分でしていることなのですが、
それをより明確に感じとる。

これが「やめる」ための前提となる修練であり、
「自分を客観視する」ことにもつながります。

冒頭に書いたとおり、私たちは現在、
このような修練に取り組んでいます。

実際に触れていただいた方には分かってもらえるのですが、
こんな地味な修練をすることが、
身体をうまく使えることにつながります。

さらに修練が進めば、
余計な思いや感情をやめることにも発展します。

私自身がこの段階にはいませんが、
そうなるだろうということは、
師範方を見ていれば理解できます。

脱力の可能性に触れてみたい方はぜひ一度、
修練会場に足を運んで下さい。

きっと、
今までにない感覚に出会えますから。

P.S.

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「力みを取って、変われる自分になる。」

こんにちは、ワタルです。

以前、「力み」の原因は、
自分が何かをしているという、

「実感」

を求める心にあると書きました。

詳しくはこちらを読んでもらえると嬉しいのですが、

「力みによって得られるもの」

「自我の存在証明としての実感」

簡単に言うと、
自分で自分を認識するための方法が、

「力みによる実感」

が主になっているから、
力むことを止められないというものです。

これはかなり根本的な話で、
気づいたからといってすぐに何かを変えられるわけでもありません。

1歳半の幼児でさえ、
生後半年の赤ちゃんと比べると力みの芽は確実に見られます。

それくらい「力み」というのは、
「自我」の発達に伴う根源的なものなのです。

そんな「力み」を生み出す原因について、
今回は別の側面を書いていきます。

それは、

「変化に対する抵抗が力みを生む」

ということ。

私たちは否が応でも「変化」し続けています。

本来的な意味で言えば、
昨日の私と今日の私は全くの別人であるとさえ言えるのです。

「動的平衡」という本が一時話題になりましたが、
全てのものは変化し続ける中でバランスを取って存在しています。

「生々流転」というやつですね。

それにもかかわらず、
「自分」は相変わらずの「自分」であり続けようとする。

これは「ホメオスタシス」とか、
「現状維持メカニズム」という言葉で表現される、
心と身体の働きによるものです。

もちろんこの働きがあるからこそ、
私たちは今こうやって生きていられます。

ですがそれが必要以上に働くと、

「変化に対する抵抗」

となってしまうのです。

腕を上げるという動きを例に、
考えてみましょう。

腕を頭上に上げるとき、
多くの人は二の腕や首肩の力を使います。

ですがそういう使い方をする人を見ると、
必ず体幹を固めてしまっています。

胸やお腹、腰周りを、
無意識のうちに土台として使っているのです。

体幹は動かずに腕だけを動かそうとするこの動きが実は、

「変化に対する抵抗」

を表しています。

腕を上げようとすれば本来、
身体の中が様々に変化します。

そして身体全体として、
腕を上げるという行為に最適な動きをするのです。

ところがそのときの身体、
特に体幹に起こる変化に対して無意識に抵抗する。

力んで体幹を固めることで、
変化から自分自身を守ろうとする。

その結果が、
腕だけで腕を上げる動きに表れるのです。

これを人間関係に置き換えて考えてみましょうか。

あなたの周りにもいませんか?

自分は動かずに、
周りの人を都合よく動かそうとする人が。

しかしそれが上手くいかないことは、
もう十分理解していますよね。

自分が居心地の良い場所にいて他人を動かそうとしても、
それは無理な話なのです。

ですが多くの人は、
自分の身体に対してこれと同じことをしています。

体幹という自分自身の本質は変えずに、
手足という周りを都合よく動かそうとする。

人間関係の話であれば当たり前のことでも、
自分の身体となると話は別ですか?

そんなことはないですよね。

こういった無理難題を、
自分の身体に対して押し付けているということ。

そのことに、
そろそろ気づく時なのです。

「自分自身の変化を受け入れる」

このことが今、
本当に必要だと感じています。

それは人間関係においても、
自分の身体との関係においても。

その為には、

「変化に対する抵抗としての力み」

を取り去らなくてはなりません。

「力みを取って、変われる自分になる。」

これが今、
私が脱力修練を行う目的なのです。

P.S.

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「三種の神器」@武颯塾

昨日は武颯塾大阪支部の修練日。

茂呂師範から直接指導を受ける、
貴重な時間を過ごしました。

特に面白かったのが、

「三種の神器」

の修練です。

その内容は、

・持ち上げられない腕

・曲げられない腕

・落ちる腕

の三つ。

ちなみに本当の三種の神器とは、

・天叢雲剣

・八咫鏡

・八尺瓊勾玉

のことですが、
それと比べると大げさな表現だと感じるでしょう。

でも、実はそうではない。

ただ、下ろした手が持ち上げられない。

ただ、前に出した手が曲げられない。

ただ、持ち上げられた手を落とすことが出来る。

本当にただこれだけのことなのですが、
そこに大きな意味が隠されているのです。

例えば持ち上げられた腕を落とす場合。

最も一般的な動作としては、

「腕を引っ張って落とそうとする」

ということが考えられます。

両手で手首と肘をしっかりとつかまれた状態では、
これを腕の力で落とすのは至難の技です。

ある程度身体運動のトレーニングを積んだ方なら、

「広背筋を使って落とそうとする」

かもしれません。

これは伸筋の連動を使って力を出すので、
もしかすると腕を落とすことは出来るかも知れません。

脱力修練を続けていると、

「肩や胸の力を抜いて落とそうとする」

ということが考えられます。

これは上手く力を抜けると、
伸筋連動よりも抵抗なく腕を落とせます。

少なくとも以前の修練であれば、
この落とし方で及第点を頂けました。

ですが今求められている内容は、
さらに違ったものなのです。

それはもっと根本的な認識の転換。

どのように力強く腕を持ち上げられていようが、

「腕を持ち上げているのは自分」

だと知ること。

そして、

「自分が持ち上げることをやめる」

ことで自然と腕が落ちる。

つまり、

「腕を落とすことをする」

のではなく、

「腕を挙げていることをやめる」

というところに自分の意識をシフトさせるのです。

この「パラダイム=シフト」を起こすための修練が、
「三種の神器」なのです。

そう考えれば、
決して大げさなものではないと感じます。

本家の「三種の神器」とは、
天皇が即位する時に受け継ぐもの。

「パラダイム=シフト」の象徴なのです。

「自分の腕を挙げる」という行為を止めるためには、
その行為自体を正しく把握する必要があります。

それは本質的には誰でも出来ることなのに、
いざやろうとするととても難しい。

自分自身の認識方法を変える為には、
何らかの「飛躍」が求められるのでしょう。

「積み重ね」でたどり着けるものではない。

今の自分を飛び越えて、
脱力の新世界へ。

その為に、
「三種の神器」の力を使おうというわけです。

ただ、下ろした手が持ち上げられない。

ただ、前に出した手が曲げられない。

ただ、持ち上げられた手を落とすことが出来る。

こういった一見地味な修練の中に、
途方もないドラマを見せてくれる。

あらためて師範の凄さを感じた、
そんな修練でした。

P.S.

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「教える」=「教わる」

こんにちは、ワタルです。

昨日は私が主催する武颯塾神戸修練会に、
体験希望の方が来てくれました。

彼は学生時代からバレーボールをしていて、
今でも週一回は続けているそうです。

体験に来た目的は、

「自分で緩めることの必要性」

を感じたから。

首や肩がコリやすく、
鍼灸治療も経験があるそうです。

ただ、それだけでは何か足りない。

人に緩めてもらうだけでは、
自分の肩こりは本当には改善しないのではないか。

そう考えていたときにHPを見て、
体験に来られたとのことです。

ですから彼は、
武術的なことに興味があるわけではありません。

自分の身体を自分で緩めるとはどういうことか、
力を抜くとはどういう感覚なのかを知りたいだけなのです。

そしてそういう目的の方に対しても、
私は同じ内容の修練を行います。

普段やっているように、
様々な状況から力を抜いて動くことを修練するのです。

ただ、そのときに説明する内容が変わります。

昨日は後半の部に空手をやっているHちゃん親子が来ましたが、
お二人に対しては武術的な説明を。

体験の彼に対しては、

「負荷をかけることが、

自分の状態を知る手掛かりになる」

という主旨の説明をします。

「脱力」というのはとても抽象的で、
一見すると何の役に立つのか分かりづらいです。

でもそれは裏を返せば、
適切な説明が出来れば何にでも役立つということ。

つまり私自身の理解が深まることで、
もっと多くの人に脱力を伝えられるのです。

そういう意味においては、
脱力について説明するという過程において、
私自身が学ばせてもらっているとも言えます。

「説明に対する相手の理解度が、

自分の理解度を知る手掛かりになる」

というわけですね。

このブログを読んでもらえれば分かるように、
私は説明が理屈っぽくなりがちです。

言語的な理解が得意な人には良いのですが、
感覚的な捉え方に長けている人には難しく感じるようです。

そういった相手の反応を見ることで、

「もう少し感覚的な説明を増やそう」

と考える。

それがすぐに上手くいくかどうかは分かりませんが、
その試行錯誤そのものが修練なのです。

このように修練会は、
来た人と私がお互いに学べる場所。

指導をしながら学んでいるという姿勢を忘れずに、
今後も続けていきたいと思います。

P.S.

もっと多くの方に来て頂いて、
より幅広く学べる環境。

さまざまな取り組みをされている人たちが、
「脱力」というキーワードで交流できる場所。

武颯塾大阪支部と神戸修練会を、
そんな場所にしていきたいと思っています。

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ぜひ、ご連絡ください。

修練参加でも、質問でも何でも結構です。

ピンとくるものがあれば、
遠慮なくメールをください。

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楽しみにしております!!

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「太極拳・基本練功 第1巻 発勁体得 [DVD]」

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反復練習の是非

こんにちは、ワタルです。

昨日Nさんと話したことの中に、
ぜひシェアしておきたい内容がありました。

それは、

「反復練習の是非」

について。

何か一つのことに向かって努力していると、
新しい感覚を見つける瞬間があります。

それは仕事でもスポーツでも芸事でも同じだと思うのですが、

「あ、コレだ!!」

と思う発見が必ずあります。

そして真面目に取り組んでいる人ほど、
その感覚を定着させようと繰り返し実践しますよね。

いわゆる「反復練習」というやつです。

ですが経験上お分かりのように、
この感覚はだんだんと色あせてきます。

発見した瞬間は鮮やかだった感覚は、
繰り返すうちにその新鮮味を失っていくのです。

そしてある時、
ふと気づくのです。

「私は何をわかったつもりになっていたのだろう?」

と。

今までその感覚で出来ていたことが、
急に出来なくなったり、
物足りなく感じたりします。

そんな時にどうすればいいのか?
というのが今回のテーマであり、
それに対する私の答えは、

「ピンとこなくなったらやめる」

というものです。

自分の感覚として練習することに面白みを感じなくなったら、
その練習はやめてしまえば良い。

その時に本当にやるべきことは、
必ず他にあるのです。

以下はその理由について説明します。

私の経験上、
このようなときに起きている事は、
以下の2通りに分けられます。

1.新しい感覚が身体に馴染んで当たり前のものになった

2.同じことを繰り返すうちに見当違いのことをするようになった

もちろんこれは完全に境界線を引けるものではなく、

「感覚が馴染んでいるにも関わらず、

発見当時の鮮やかさを求めるあまり別のことをしてしまう」

ということもあるのですが、
説明上分けることにしました。

1.の場合において反復練習をしないほうが良い理由は、

「それ以上の上達が見込めないから」

です。

馴染んでいる感覚というのは、
見方を変えればすでに、

「今の自分」

になっているわけです。

上達というのは基本的に、

「今の自分を変える」

ことの上に成り立つものなので、
馴染んでいる感覚の反復練習では、
それ以上の上達は見込めないのです。

2.の場合においてはもっと強く言う必要がありますね。

「その反復練習をやめなさい」

と。

なぜならそれは、

「見当違いのことを繰り返している」

のですから。

上にも書きましたが、
感覚というものは気づいたときが一番ハッキリしているのです。

なぜならそれは、
今までの感覚との「差」が大きいから。

人は何かを他との「比較」によって理解します。

当然、
「差」が大きいほど分かりやすいのです。

ところが反復練習をすればするほど、
その「差」はなくなってきます。

それは感覚が自分に馴染んできたということなのですが、
人は感覚自体を認識することが難しい。

ほとんどの場合は今までとの「差」を、
「感覚そのもの」として認識しているのです。

だからせっかく感覚が馴染んできているにもかかわらず、
同じだけの「差」を感じようとしてしまう。

その結果見当違いのことをするようになり、
ハッキリ言えば、

「やればやるほど下手になる」

ことさえあるのです。

つまり1.2.いずれの場合においても、

「反復練習の効果がなくなっている」

と言えるのです。

だからこそ、

「ピンとこなくなったらやめる」

という、

「勇気」

が必要なのです。

今まで繰り返してきたことを変えるのには抵抗がありますが、
それを乗り越えることが、

「上達への道」

なのです。

P.S.

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