続・身体に任せる

「身体に任せる」というのは、
一体どういうことなのでしょうか。

練気武颯拳の修練における最初の段階では、
目的に合わせた「力の抜き方」を修練します。

例えば腕に重みを流すのであれば、
腕はもちろんのこと、肩や胸の力を抜きます。

脚に重みを流すときには、
膝や股関節の脱力が重要です。

まずはこのような効果的な「力の抜き方」を学ぶことで、
「力を抜いて力を出す」という感覚を身に付けます。

もちろんこれだけでも上手くなると、
筋力による力とは違う、

スムーズで無駄のない、
なおかつ「楽」な力を出すことができます。

ただ、この段階においては、
「今の自分」が力を抜いているだけなのです。

「力を入れる」というやり方を、
「力を抜く」というやり方に変えただけ。

「脱力」を「筋力」と並列において、
「使い勝手がいい方を使おう」という発想です。

それだと、「今の自分」は何も変わっていません。

練気武颯拳における「脱力」とは、
その程度のものではありません。

「今の自分」=「自我」をそのままにしてより合理的なものを選ぶ、
というものではないのです。

人の身体はとてつもなく複雑で、
この上なく精巧にできています。

数十兆の細胞が組織を作り、
それらが有機的につながって働く。

運動器だけを取ってみても、
200余の骨と数百の筋肉が連動して動くのです。

それを「今の自分」、
これは「自我」、「エゴ」、「顕在意識」など様々な呼び方がありますが、

そういったものでコントロールして動かそうということ自体、
ナンセンスなことなのです。

もちろんそんなやり方でも身体は動いてくれます。
私自身、残念ながら現在に至るまでそこを抜け出せません。

しかしそれは、途方も無い身体の可能性に対して、
「自分で限界を作っている」ことに他ならないのです。

ということは逆に言えば、「身体に任せる」ことが、
「自分で作った限界を取り去る」ことにつながるのです。

現在の練気武颯拳の修練においては、
身体から自分の思いを外すこと、

すなわち、
「身体に任せる」ことを主眼に置いて修練しています。

そこでは技をかけたという「結果」ではなく、
どのように力が働いたのかという「過程」が、

そして技をかけるという「行為」よりも、
その時の自分や相手を「観察」することが重要になります。

そう、「身体に任せる」ことは、
「観察者になる」ことなのです。

P.S.

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身体に任せる

練気武颯拳の修練の基本は、
「脱力」することです。

そのこと自体は私が修練を始めた当初より変わっていないのですが、
修練内容はますます深いものになっています。

過去の修練におけるテーマを見ていくと、

1.屈筋主導から伸筋主導へ
2.身体中心の確保
3.固体発想から流体発想へ
4.重力を力として使う

といったものが挙げられます。

今でもテーマになるものもあれば、
全く触れられないものもあります。

特に1の「伸筋主導へ」という修練は、
随分前から全くしなくなりました。

屈筋だろうが伸筋だろうが、
「筋力発想」には変わりないですからね。

逆に3の「流体」については、
常にテーマになり続けています。

外圧に対して身体を固めてしまう習慣は、
弱くはなりますがなかなか消えてくれません。

2の「身体中心の確保」については、
現在は「合成重心」というテーマに進化しています。

自分だけの中心ではなく、
自分と相手とを一つのものとして捉えた時の中心を感じ取ります。

4の「重力を力として使う」ことにおいても、
今では「重力と抗力」の両方に焦点を当てて修練しています。

そして、現在の修練においてもっとも大切なのが、

5.身体に任せる

ということです。

(以下、次回へ右矢印

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重心

3日間の武颯塾東京合宿において、
私が一番の収穫だと感じているのが、

「重心」

についての理解が深まったことです。

ちなみに「重心」をウィキペディアで調べてみると、

「重心(じゅうしん、英語:center of gravity)とは、
力学において、空間的広がりをもって質量が分布するような系において、
その質量に対して他の物体から働く万有引力の合力の作用点。」

とありました。

これを地球上における人体に当てはめると、

「身体における重力の合力の作用点」

ということになるでしょう。

そして地面の上で姿勢を保持している以上は、
地面からの「抗力」が「重力」と拮抗しています。

したがって言い方を変えると、
重心とは、

「身体に働く重力(の合力)と抗力(の合力)が拮抗する点」

だということになります。

私は残念ながら物理の成績が悪かったので、
定義として正しい言葉を使えているかどうかはわかりませんが、

身体感覚的な理解として、
以下のようなことをお伝えしたいのです。

「重心に向かって力を抜けば、体の重さを感じなくなる」

地球上である姿勢を保持している以上、
そこには必ず「重力」と「抗力」が働いているのです。

あえて自分で何かをしなくても、
もうすでに「力」は存在しています。

ただ、それが当たり前すぎて、
「力」として認識できないのです。

そして、当たり前でないものを求めて、
「力む」ことが「力を出す」ことだと思ってしまうのです。

だから、「力を抜く」というと、
ほとんどの人が姿勢の悪い「腑抜け」の状態を想像します。

でも、本当は違うのです。

「重心」を知覚する。
「重心」に向かって力を抜く。

「重心」がその人の現時点での姿勢においての、
「重力」と「抗力」が拮抗する点である以上、

「重心」に向かって力を抜いて、
姿勢が変わることはないのです。

そうではなく、
「その姿勢における必要最小限の筋収縮でいる」ことが、
「重心」に向かって力を抜くことなのです。

このことが理解できると、
今までいかに無駄な力を使って生活していたのかがわかります。

自分で自分を不自由な状況に追い込んでいたのです。

それを、やめる。

そして、今、ここにある「力」に気づく。

それが練気武颯拳の修練だと、
今回改めて感じました。

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「歩く」ことの難しさ

12月3,4,5日は、
武颯塾東京本部道場での冬期合宿に参加してきました。

私が武颯拳を習いだしてから初の冬期合宿。
しかも道場に2泊。

980円の寝袋で本当に眠れるのだろうか?
早朝の修練は寒さに震えながらするのかな?

そんな心配も多少あったのですが、
全くの杞憂に終わりました。

道場のエアコンはしっかりと働いてくれたし、
朝の寒さも随分と和らいでいました。

そんな恵まれた条件もあって、
集中して取り組むことができた今回の合宿。

修練においても多くの気づきを得ることが出来ました。

その中でも最も印象に残ったのが、
「歩く」ということの難しさです。

何らかの理由で歩けない人を除けば、
これほど一般的な運動もありません。

毎日数千回以上、
日常的に繰り返しています。

当然のことながら、
普通は歩くことが「難しい」とは思わないでしょう。

ところが。

修練をしていると気づくのです。

歩くことが意外と「難しい」ということに。

もちろん、ただの移動手段として歩くことを捉えると、
それほど難しいものではありません。

ですが、歩くという行為の本来的なプロセスと、
そこから生み出される途方も無い力の一端に触れてしまうと、

俄然認識を改めざるを得ません。

歩くことは、「難しい」。

言い方を変えれば、
「高度な運動」だということです。

まずは、自分の重心に身体を任せきる。
そして、身体を任せ切ったままの重心を動かす。

歩くという動作のどの段階においても、
重心の移動がブレず途切れず行われる。

それができると、
前から力いっぱい押さえられてもスススッと進めるような、

押している側にすると、
「地面を押している」としか思えないような力が働くのです。

修練の形としては、
「取り」が片足に完全に重心を載せた状態で、
もう一方の足を前に出します。

その形のまま両手を前に出して、
そこを「受け」が両手でしっかりと押さえます。

「取り」はその状態から、
重心だけを前に進める意識で歩き出します。

上述したような重心移動が正しくできていれば、
地面からくる前方への力が発揮され続けます。

歩いているどのタイミングで押さえられても、
同じように進み続けられるのです。

このような修練を3日間、
みっちりと行ってまいりました。

客観的に観ると大変地味な修練なのですが、
今までの自分では考えられないような、

質の違う、大きくて、それでいて楽な「力」が、
体の中を通っていく感覚は、

それだけで何とも言えない喜びを感じさせてくれます。

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流体

12月1日の武颯塾大阪支部における修練日の記録です。
先月に引き続き、推手がテーマ。

肩や腕を様々な方向に押されたり引かれたりする、
という形の修練を行いました。

相手の力に対して頑張って抵抗するのは論外。
ただ力を抜いていなすだけでも不充分。

相手の力をどうやって自分の力として使うかが課題。
相手の力を、自分の力だと正味感得したいのです。

その為にはまず、
抵抗している自分に気付く必要があります。

自分が力を加える時。
外から力が加えられた時。

身体を固めて土台をつくることが、
根強い習慣として染み付いています。

いわゆる「居着く」というやつですね。
まずは、そこを変えたい。

身体を個体としてではなく、
流体として扱う。

そして、流体で居続ける。
それが、今の修練テーマです。

明日から、本部道場での合宿。
3日間、楽しんできます。

P.S.

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修練の方向性

差別化、細分化、分離、分割、境界、制限、ルール、マニュアル

から、

共有、包括、包含、統合、融合、自由、解放

へと向かって。

意識の枠組みが、拡がっていく。

力を抜いて、力を感じる。

ただ、此処に、いる。

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「意識」のトレーニング

11月27日、武颯塾大阪支部で集中修練を行いました。

午前中の練気柔真法の時間に行った修練が、
「意識」について学ぶことに役立つと思い紹介します。

私個人の感想としては、

「刺激」に対する習慣としての「反応」から抜け出して、
自分の意識を自由に動かすという、
意識の「選択」と「集中」の修練だと感じました。

修練の形自体は単純なもので、
二人のうちの一人が相手の手首をしっかりと掴み、
掴まれた側がそれを動かすというものです。

もちろん、今までの筋力発想から離れて、
力を抜いて動かすことに変わりはありません。

ただ、師範からの指示がこれまでのように、

「肩・胸の力を抜いて重みを流しなさい」
「肘を動かしなさい」
「合成重心を知覚しなさい」

といったものではありませんでした。

もちろん、上記のようなやり方でも、
相手をスムーズに動かすことはできます。

腕の筋力主体で動かすことに比べれば、
断然軽々と動きます。

ですが、今回のやり方は、
「全くの自由」に動く感覚に近いです。

相手の抵抗が、
本当に自分の「力」になります。

受け流すのでも、
方向を変えるのでもありません。

相手の「力」を自分の「力」とするのです。
そのための師範の指示とは。

「掴まれた感触だけになって、その感触が動けばいい」

言うは易しです(笑)

やってみるとわかります。
とても難しいです。

いきなり「掴まれた感触だけ」に集中しても、
なかなかうまくいきません。

そこで、
ステップを一つ増やすことにしました。

掴まれた部分以外の身体全体を感じて、
それを「消していく」のです。

この「消していく」という意識の作業が、
「脱力」の重要な部分ではないかと思います。

身体全体がある程度意識から消えた時に、
「掴まれた感触だけ」が残ります。

これが「動く」のです。
「動かす」のではないところが難しいですね。

「相手を感じている自分を感じる」

というアドバイスをいただきましたが、
それも難しい(笑)

ただ、上手くいくと、
本当に抵抗なく相手が動きます。

自分の感触としても、
「掴まれている皮膚」と「地面」が直接つながります。

常時このような身体でいられれば良いのですが…。

それはさておき、
この修練において重要なことは、

「刺激」に対して「反応」させられている状態から一度自由になり、
その自由な状態で「刺激」を認識するという意識の働きだと思います。

それを「身体」というもっとも物理的な次元で行うことで、
より実際的な意識のトレーニングになるのです。

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全体を感じる

今日は、身体に対する意識の持ち方について、
「身体全体を感じる」ということをテーマに、
練気武颯拳の修練を通して考えていきます。

練気武颯拳の修練において、
最も基本となるのが「養体」というものです。

ある姿勢を取った時に、
身体の一部に負荷をかけてもらいます。

普段は立った姿勢で行いますが、
座った姿勢や寝た姿勢でも同様に行います。

「養体」修練の進み具合は、
「負荷に対してどれだけ力を抜いていられるか」を目安とします。

例えば、一人が肩幅に脚を開いて立っているとします。
そしてもう一人が、それを横から押します。

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この時に、
最初は押されたところを押し返そうとします。

次に、「力を抜きなさい」と言われることで、
相手の力をいなすようになります。

いなすのが上手になると、
それなりに押されなくなります。

ただ、それでは「養体」の修練とは言えません。

「養体」修練の目的の一つとして、
「全体を感じる」ということが挙げられます。

私が実感できる段階(第一段階だと思います)においては、
「自分の身体全体を感じる」ことを意識します。

実際に上の写真のように押されてみるとわかるのですが、
ほとんどの場合「自分の身体全体」は感じられません。

押された側の肩やわき腹と、
反対側の足くらいしか感じられなくなります。

そして当たり前なのですが、
「感じられない部分」は「使えない」のです。

そのため、「感じられる部分」にのみ、
さらに力を入れて耐えようとする。

その結果、余計にそこに意識が集中して、
他の部分を感じられない。

まずはこの悪循環から抜け出したいのです。

押されたところは嫌でも感じるので、
そこは放っておいて身体の他の部分を感じてみる。

そして、感じた部分の力を抜いていく。

そんな修練を繰り返すことで、
「自分の身体全体」で力を受け止められるようになります。

身体のどの部分に負荷がかかっても、
それを身体全体の力を抜いて受ける。

すると、相手の力が「地面」へと流れていくことに気づくのですが、
それはここでは置いておきます。

まずは、自分の身体において、
「部分」から「全体」へと意識を広げるのです。

この意識の変化は、自分の身体感覚としても感じられますし、
触れている相手にも感覚の違いとして感じられます。

私自身の感覚で言えば、
身体が半透明になり、抵抗感が薄れてきます。

そして修練が進むことで、
さまざまな外圧に対して、

「強い力で対抗している」

のではなく、

「そもそも影響を受けないものだ」

という感覚に近づけると思います。

さらに次の段階としては、
「押してくる相手も自分の一部として感じる」

という修練があるのですが、
私自身がそれを自分のものにしておりませんので、
ここでは控えておきます。

まずは、

「自分の身体全体を感じる」

そのために、

「感じている部分の力を抜く」

ということを意識してみましょう。

P.S.

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2011.10.23修練日誌(続き)

10月23日の武颯塾大阪支部集中修練日誌の続きです。

練気武颯拳

今月のテーマである寝技の修練において今回取り上げられたのは、
「極められた手首と腕を返す」というものでした。

まずは一人が正座となり、
もう一人が斜め後ろから片手で手首を極めて、
もう片方の手で腕を抑えます。

刑事ドラマなんかでたまに見られる形ですね。

そこから手先へと「重み」を流して手首を返すのですが、
当然相手の方が力を入れやすい体勢のため、簡単には返りません。

無理に力で返そうとすると、
逆に関節の極まりが強くなり、一層痛くなります。

そこで「力を抜く」わけですが、
ただやみくもに腑抜けてしまうとどんどん体勢が悪くなっていきます。

相手の力を感じ、自分の身体の中をどのように通っているのか、
その力を地面のどこで受けているのかを認識する必要があります。

この、「力を抜く」「認識する」という作業が、
武颯拳の修練の根幹だと感じます。

関節を極められているとはいえ、
動きが止まって耐えている以上、
そこで力は拮抗しているのです。

相手の力と、それに拮抗している力。
(あえて自分の力とは書きません)

それぞれが、どこからどのように流れているのか。
それさえ感じられれば、あとは流れに乗ればいいのです。

ですから、「力を抜いて力を認識する」ことが、
「力を抜いて力を出す」ことにつながります。

修練はその後、うつ伏せになった状態で腕と手首を返しました。
ここでは、「接地面全体を使って地面を押す」という感覚をつかみました。

うつ伏せになっているのですから、
身体の前面ほぼすべてが接地面になります。

その身体前面をまるごと使って地面を押すのですが、
これが意外と難しい。

「自分の身体全体を意識する」ということが、
実はなかなかできないのです。

手を使うときは手を、脚を使うときは脚を、
それぞれ「部分」として認識して使ってしまう。

自分の身体の「地図」が実は破れて空白だらけだということが、
この修練で理解できます。

逆に言えば、この「地図」が一通りそろって身体全体を描くようになると、
身体を部分で使わなくなります。

腕を使おうが脚を使おうが、
「全体」としての力が働くのです。

武颯拳の時間の最後はプロレスで言う「手四つ」の形で行いました。
相対で組んで指を折るような感じですね。

これも、「地面を踏む」ことで生じる力が指先へと流れます。
それによって、手先で行うのとは異質の強さになります。

「身体を一つのものとして扱う」

これが、今回の修練で得た気付きでした。

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2011.10.23修練日誌

10月23日、武颯塾大阪支部における集中修練の内容は以下の通りでした。

練気柔真法

力を抜いて手を上げる。
まずはそれだけ。

その時に自分の身体の中で起こっていることを、
しっかりと感じる。

修練の中では、

「肩や胸の力を抜いて、肘を落とすことで手が上がる」

と指導されます。
そのこと自体は多くの修練性が理解しているところですが、

「では、その時身体の中では何が起きているのか?」

ということを正味感じてみようというわけです。
これは、人によって異なります。

なぜなら、それぞれの修練の度合いによって、
認識できるものが異なるからです。

もちろん、身体の中で起きていることに無駄がないほど、
力の伝達はスムーズに行われます。

だから、身体の中を整えるということはもちろん修練の目的であり、
何を認識できているのかという点が重要な修練の指標となります。

ただ、それと同じかそれ以上に大切なことが、
この修練にはあると思いました。それは、

「自分の身体に意識を向け続ける」

ということだと思うのです。

自分の身体に起こっていることをしっかりと観続ける。これは、

の中で茂呂師範が宗師範から言われた、

「武術は極限的な客観視」

という言葉にある「客観視」の修練になると感じるからです。

まずは自分の動きの中で、
自分自身を客観視する。

次に、相対での物理的・精神的ストレスを受けている中でも、
自分を客観視し続ける。

そして、自他を共に客観視できるよう、
修練を進めていくのだと思います。

練気柔真法の修練自体は、
ここから仰臥位や立位で腕を押される修練へと進みました。

いずれの修練も、

「自分と相手を客観視する」

という観点でとらえることで、
より「脱力による力」を感じやすいと思いました。

練気武颯拳、練気杖術の修練については次回に書きます。

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