「南無阿弥陀仏」について考える

「南無阿弥陀仏」について考える 

こんにちは、ワタルです。

今日は、

「南無阿弥陀仏」

について考えてみます。

みなさんご存じのとおり、
仏教の一派である浄土宗や浄土真宗で唱えられているアレです。

浄土宗や浄土真宗については、
中学校の歴史の時間で習いましたよね。

法然上人が開いた浄土宗と、
その弟子である親鸞聖人が開いた浄土真宗。

教科書に書いてあった程度の知識ですがその教えは、

「南無阿弥陀仏」

と唱えることで、
難しい修行をしなくても極楽浄土に行けるというものでした。

これを習った当時の私は、

「なんてムシの良い話だw」

と思っていました。

それが本当なら誰も苦労はしないよ、と。

ですが細々と武術の修練をしてきた今では、
少し違った考えを持っています。

「南無阿弥陀仏」

の教えには、
もっと深い意味があるのではないかと。

そう考えてみたときにある仮説にたどり着いたので、
それを書いてみようと思ったわけです。

ちなみにこの、

「ただ南無阿弥陀仏と唱えていればいい」

という話を最初に聞いたときに私が想像していたのは、

「何か都合の悪いことが起きた時に唱える」

というものでした。

それはドラマやアニメの影響もあるかもしれませんが、
これを読んでいる皆さんもそうではありませんか?

日本昔話なんかで、
鬼が来ることに怯えながら家の中で唱えている。

そんなイメージを持っていたのは、
私だけではないと思うのです。

そしてそうしたイメージにおいては当然、

「そんなの意味無いよ」

と言ってしまうわけです。

しかしこのイメージの前提を変えてみたらどうでしょう?

「都合の悪い時にだけ唱える」

のではなく、

「起きている間ずっと唱え続ける」

のだとすればどうか。

随分と話は違ってきますよね。

それはそうそう出来るものではないし、
ムシの良い話でもなくなってくる。

つまり私が考えた仮説とは、

「南無阿弥陀仏は唱え続けなければ意味がない」

というものなのです。

たとえどんな時でも。

仕事をしている時、
友達と話をしている時、
家族と食事をしている時、えとせとら。

いついかなる時においても意識のある限り、
南無阿弥陀仏と唱え続ける。

念仏を唱えることに集中することで、
自分の中の余計な思考や感情から解放される。

これがおそらく、
法然上人が伝えたかったことなのではないでしょうか。

お坊さんでもある後輩によると、
法然上人はもともと比叡山の天台宗にいたそうです。

比叡山と言えば、

「千日回峰行」

が有名ですよね。

三年にわたって野山を駆け回り続ける。

そんな厳しい修行が出来なくても、
ただ一日中念仏を唱えていれば良い。

法然上人にとってはそれは、
誰でも簡単にできる修行方法に思えたことでしょう。

なにせ比べる対象が超人的な修行なのですから。

けれどもそれを聞いた一般の人にとってはどうでしょうか。

起きている間ずっと念仏が頭の中で鳴っている人など、
まずいないと言えるでしょう。

私としてはここに、
教えることと教わることの難しさを感じます。

おそらく法然上人の話を聴いた人たちは、

「ああ、こんな簡単なことで極楽に行けるんだ」

と思ったことでしょう。

そしてそれを伝えた法然上人も、

「そう、こんな簡単なことで良いんだよ」

と思って伝えたはずなのです。

ですがそれぞれの理解している教え、

「ただ南無阿弥陀仏と唱えていればいい」

という言葉の間には、
絶対的な違いがあります。

その違いとは、

「回数」

です。

ただ話を聴いた人たちはきっと、

「思い出した時に念仏を唱える」

という理解と行動をしたことでしょう。

けれども法然上人の教えでは、

「起きている間ずっと念仏を唱える」

という行動を要求しているのです。

もちろんこれは私の仮説なので、
実際の法然上人の教えがこの通りとは限りません。

ですが一説によれば法然上人自身は、
1日に60,000回の念仏を唱えていたそうです。

仮に1秒に1回唱えたとしても、

60,000秒=1,000分=16時間40分

かかるわけです。

そう考えると、

「起きている間ずっと唱え続ける」

ということにも、
真実味がでてきますよね。

…話しが逸れましたが、
結局ここで言いたかったことは、

「教わった通りに行うことが如何に難しいか」

ということ。

法然上人のように1日60,000回の念仏を唱えている人は、
ほとんどいないことでしょう。

武術を学んでいる私自身も同様に、
教わったことを本当に理解しているのかどうか、
はなはだ怪しいものです。

だからこそ師の教えは、
何度も何度も繰り返し受ける必要があるのです。

一度聴いただけで分かった気になる自分を抑えて、注意深く教えを受ける。

そういう態度が、
何かを学ぶときには絶対に必要になる。

南無阿弥陀仏について考えていて、
ふとそんなことを思った次第です。

P.S.

もっと多くの方に来て頂いて、
より幅広く学べる環境。

さまざまな取り組みをされている人たちが、
「脱力」というキーワードで交流できる場所。

武颯塾大阪支部と神戸修練会を、
そんな場所にしていきたいと思っています。

このブログを読んで興味をお持ちでしたら、
ぜひ、ご連絡ください。

修練参加でも、質問でも何でも結構です。

ピンとくるものがあれば、
遠慮なくメールをください。

musou-tensei@eurus.dti.ne.jp

楽しみにしております!!

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

太極拳において目指す身体の在り方が映像で見られます。

「太極拳・基本練功 第1巻 発勁体得 [DVD]」

「太極拳・基本練功 第2巻 内功推手 [DVD]」

「脱力」について興味のある方はこちらをご覧ください

武颯塾東京本部

武颯塾名古屋修練会

武颯塾大阪支部

武颯塾神戸修練会

明石~神戸で鍼灸・整体の往診をご希望の方はこちら
musou-tensei@eurus.dti.ne.jp

脱力・練気武颯拳についての参考にコチラもどうぞ

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

 

P.S.

RESETSTYLEでは、
脱力を基本とする武術的身体トレーニングを行っています。

一般的な武道においてイメージされるような、
先輩後輩の上下関係は一切ありません。

ただただ合気や発勁を使えるようになるための、
身体コントロール技術を楽しく学ぶための場所です。

当然、直接殴ったり蹴ったりすることもなければ、
怖いと感じた動きを強制もしません。

ご自分の出来る範囲で、
無理なくトレーニングに参加することが出来ます。

RESETSTYLEへはコチラから

このブログを読んで興味をお持ちでしたら、
ぜひ、ご連絡ください。

dreamasabutterfly@gmail.com

ご連絡、お待ちしております!!

参考書籍はコチラ

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です