刺激と反応の間にある「選択の自由」

いよいよ第1の習慣、
「主体性を発揮する」に突入です!

「主体性」、よく聞く言葉ですよね。
「もっと主体性を持って仕事をしなさい!」
なんて言われた事ないですか?

まあ、言わんとすることはなんとなくわかるのですが、
多くの場合、「積極性」と同義で使われているような気がします。

そんな「主体性」について、
この本では以下のように定義しています。

「刺激と反応の間にある選択の自由」

…どういうことでしょう?
言葉が難しいですね。

例えば、今、雨が降っているとしましょう。
想像してみてください。

どんな気分ですか?
なんとなくどんよりした、重たい気分になりませんか?

では逆に、快晴で抜けるような青空が広がっているとしたら?
イメージしてみましょう。

なんとなく清々しい気分になったのではないですか?

これは、雨空という「刺激」に対して、
どんよりした気分という「反応」を、

青空という「刺激」に対して、
清々しい気分という「反応」をしているわけです。

ですが本来、天気に良いも悪いもあるわけでなく、
気分との直接の因果関係はありません。

過去の記憶や経験をもとに意味づけをして良し悪しの判断をし、
勝手に気分を良くしたり悪くしたりしているのです。

そしてそれを繰り返した結果、天気という「刺激」により、
気分という「反応」があらわれるよう条件付けられる。

このような、
「ある特定の刺激に対して特定の反応が条件付けられる」
という考え方を、

「刺激と反応のモデル」

といいます。
いわゆる「条件反射」というやつですね。

この「条件反射」は、
私たちの生活のあらゆる場面で見ることができます。

自覚できるものと、
当たり前になりすぎて気づけないもの。

自分の実体験から身についたものと、
メディアなどから繰り返される情報で身に付けさせられたもの。

生きていく上で必要なものと、
日常生活に支障をきたすような厄介なもの。

本当にたくさんあるのですが、「条件反射」である限り、
いずれも「刺激」「反応」を決めているのです。

「特定の刺激」に対して「特定の反応」をする、
というか、してしまう。

この状態を、「主体性がない」「反応的である」
とこの本では言っています。

その逆に、「刺激と反応の間に選択の自由をもつ」
つまり「刺激に対する反応を自分で選択する」ことを、

「主体性がある」

と言っているのです。

そして本来、
人には主体性が備わっているため、

「刺激」に対する「反応」を、
「選択している自分」がいるはずなのです。

この「選択している自分」に気づき、
そこに意識の焦点を当てることが、

「主体性を発揮する」

ために最も必要なことなのです。

このことは、練気武颯拳という武術修練の中で、
私が目指していることでもあります。

それを理解しやすい言葉で再認識させてくれたこの本に、
心から感謝しています。