「意識」のトレーニング

11月27日、武颯塾大阪支部で集中修練を行いました。

午前中の練気柔真法の時間に行った修練が、
「意識」について学ぶことに役立つと思い紹介します。

私個人の感想としては、

「刺激」に対する習慣としての「反応」から抜け出して、
自分の意識を自由に動かすという、
意識の「選択」と「集中」の修練だと感じました。

修練の形自体は単純なもので、
二人のうちの一人が相手の手首をしっかりと掴み、
掴まれた側がそれを動かすというものです。

もちろん、今までの筋力発想から離れて、
力を抜いて動かすことに変わりはありません。

ただ、師範からの指示がこれまでのように、

「肩・胸の力を抜いて重みを流しなさい」
「肘を動かしなさい」
「合成重心を知覚しなさい」

といったものではありませんでした。

もちろん、上記のようなやり方でも、
相手をスムーズに動かすことはできます。

腕の筋力主体で動かすことに比べれば、
断然軽々と動きます。

ですが、今回のやり方は、
「全くの自由」に動く感覚に近いです。

相手の抵抗が、
本当に自分の「力」になります。

受け流すのでも、
方向を変えるのでもありません。

相手の「力」を自分の「力」とするのです。
そのための師範の指示とは。

「掴まれた感触だけになって、その感触が動けばいい」

言うは易しです(笑)

やってみるとわかります。
とても難しいです。

いきなり「掴まれた感触だけ」に集中しても、
なかなかうまくいきません。

そこで、
ステップを一つ増やすことにしました。

掴まれた部分以外の身体全体を感じて、
それを「消していく」のです。

この「消していく」という意識の作業が、
「脱力」の重要な部分ではないかと思います。

身体全体がある程度意識から消えた時に、
「掴まれた感触だけ」が残ります。

これが「動く」のです。
「動かす」のではないところが難しいですね。

「相手を感じている自分を感じる」

というアドバイスをいただきましたが、
それも難しい(笑)

ただ、上手くいくと、
本当に抵抗なく相手が動きます。

自分の感触としても、
「掴まれている皮膚」と「地面」が直接つながります。

常時このような身体でいられれば良いのですが…。

それはさておき、
この修練において重要なことは、

「刺激」に対して「反応」させられている状態から一度自由になり、
その自由な状態で「刺激」を認識するという意識の働きだと思います。

それを「身体」というもっとも物理的な次元で行うことで、
より実際的な意識のトレーニングになるのです。

全体を感じる

今日は、身体に対する意識の持ち方について、
「身体全体を感じる」ということをテーマに、
練気武颯拳の修練を通して考えていきます。

練気武颯拳の修練において、
最も基本となるのが「養体」というものです。

ある姿勢を取った時に、
身体の一部に負荷をかけてもらいます。

普段は立った姿勢で行いますが、
座った姿勢や寝た姿勢でも同様に行います。

「養体」修練の進み具合は、
「負荷に対してどれだけ力を抜いていられるか」を目安とします。

例えば、一人が肩幅に脚を開いて立っているとします。
そしてもう一人が、それを横から押します。

$練気武颯拳&東洋医学でFreeな心と身体♪

この時に、
最初は押されたところを押し返そうとします。

次に、「力を抜きなさい」と言われることで、
相手の力をいなすようになります。

いなすのが上手になると、
それなりに押されなくなります。

ただ、それでは「養体」の修練とは言えません。

「養体」修練の目的の一つとして、
「全体を感じる」ということが挙げられます。

私が実感できる段階(第一段階だと思います)においては、
「自分の身体全体を感じる」ことを意識します。

実際に上の写真のように押されてみるとわかるのですが、
ほとんどの場合「自分の身体全体」は感じられません。

押された側の肩やわき腹と、
反対側の足くらいしか感じられなくなります。

そして当たり前なのですが、
「感じられない部分」は「使えない」のです。

そのため、「感じられる部分」にのみ、
さらに力を入れて耐えようとする。

その結果、余計にそこに意識が集中して、
他の部分を感じられない。

まずはこの悪循環から抜け出したいのです。

押されたところは嫌でも感じるので、
そこは放っておいて身体の他の部分を感じてみる。

そして、感じた部分の力を抜いていく。

そんな修練を繰り返すことで、
「自分の身体全体」で力を受け止められるようになります。

身体のどの部分に負荷がかかっても、
それを身体全体の力を抜いて受ける。

すると、相手の力が「地面」へと流れていくことに気づくのですが、
それはここでは置いておきます。

まずは、自分の身体において、
「部分」から「全体」へと意識を広げるのです。

この意識の変化は、自分の身体感覚としても感じられますし、
触れている相手にも感覚の違いとして感じられます。

私自身の感覚で言えば、
身体が半透明になり、抵抗感が薄れてきます。

そして修練が進むことで、
さまざまな外圧に対して、

「強い力で対抗している」

のではなく、

「そもそも影響を受けないものだ」

という感覚に近づけると思います。

さらに次の段階としては、
「押してくる相手も自分の一部として感じる」

という修練があるのですが、
私自身がそれを自分のものにしておりませんので、
ここでは控えておきます。

まずは、

「自分の身体全体を感じる」

そのために、

「感じている部分の力を抜く」

ということを意識してみましょう。

2011.10.23修練日誌(続き)

10月23日の武颯塾大阪支部集中修練日誌の続きです。

練気武颯拳

今月のテーマである寝技の修練において今回取り上げられたのは、
「極められた手首と腕を返す」というものでした。

まずは一人が正座となり、
もう一人が斜め後ろから片手で手首を極めて、
もう片方の手で腕を抑えます。

刑事ドラマなんかでたまに見られる形ですね。

そこから手先へと「重み」を流して手首を返すのですが、
当然相手の方が力を入れやすい体勢のため、簡単には返りません。

無理に力で返そうとすると、
逆に関節の極まりが強くなり、一層痛くなります。

そこで「力を抜く」わけですが、
ただやみくもに腑抜けてしまうとどんどん体勢が悪くなっていきます。

相手の力を感じ、自分の身体の中をどのように通っているのか、
その力を地面のどこで受けているのかを認識する必要があります。

この、「力を抜く」「認識する」という作業が、
武颯拳の修練の根幹だと感じます。

関節を極められているとはいえ、
動きが止まって耐えている以上、
そこで力は拮抗しているのです。

相手の力と、それに拮抗している力。
(あえて自分の力とは書きません)

それぞれが、どこからどのように流れているのか。
それさえ感じられれば、あとは流れに乗ればいいのです。

ですから、「力を抜いて力を認識する」ことが、
「力を抜いて力を出す」ことにつながります。

修練はその後、うつ伏せになった状態で腕と手首を返しました。
ここでは、「接地面全体を使って地面を押す」という感覚をつかみました。

うつ伏せになっているのですから、
身体の前面ほぼすべてが接地面になります。

その身体前面をまるごと使って地面を押すのですが、
これが意外と難しい。

「自分の身体全体を意識する」ということが、
実はなかなかできないのです。

手を使うときは手を、脚を使うときは脚を、
それぞれ「部分」として認識して使ってしまう。

自分の身体の「地図」が実は破れて空白だらけだということが、
この修練で理解できます。

逆に言えば、この「地図」が一通りそろって身体全体を描くようになると、
身体を部分で使わなくなります。

腕を使おうが脚を使おうが、
「全体」としての力が働くのです。

武颯拳の時間の最後はプロレスで言う「手四つ」の形で行いました。
相対で組んで指を折るような感じですね。

これも、「地面を踏む」ことで生じる力が指先へと流れます。
それによって、手先で行うのとは異質の強さになります。

「身体を一つのものとして扱う」

これが、今回の修練で得た気付きでした。

(以下、次回へ右矢印

2011.10.23修練日誌

10月23日、武颯塾大阪支部における集中修練の内容は以下の通りでした。

練気柔真法

力を抜いて手を上げる。
まずはそれだけ。

その時に自分の身体の中で起こっていることを、
しっかりと感じる。

修練の中では、

「肩や胸の力を抜いて、肘を落とすことで手が上がる」

と指導されます。
そのこと自体は多くの修練性が理解しているところですが、

「では、その時身体の中では何が起きているのか?」

ということを正味感じてみようというわけです。
これは、人によって異なります。

なぜなら、それぞれの修練の度合いによって、
認識できるものが異なるからです。

もちろん、身体の中で起きていることに無駄がないほど、
力の伝達はスムーズに行われます。

だから、身体の中を整えるということはもちろん修練の目的であり、
何を認識できているのかという点が重要な修練の指標となります。

ただ、それと同じかそれ以上に大切なことが、
この修練にはあると思いました。それは、

「自分の身体に意識を向け続ける」

ということだと思うのです。

自分の身体に起こっていることをしっかりと観続ける。これは、

の中で茂呂師範が宗師範から言われた、

「武術は極限的な客観視」

という言葉にある「客観視」の修練になると感じるからです。

まずは自分の動きの中で、
自分自身を客観視する。

次に、相対での物理的・精神的ストレスを受けている中でも、
自分を客観視し続ける。

そして、自他を共に客観視できるよう、
修練を進めていくのだと思います。

練気柔真法の修練自体は、
ここから仰臥位や立位で腕を押される修練へと進みました。

いずれの修練も、

「自分と相手を客観視する」

という観点でとらえることで、
より「脱力による力」を感じやすいと思いました。

練気武颯拳、練気杖術の修練については次回に書きます。

(以下、次回へ右矢印

2010.10.13修練日誌(続き)


10月13日の武颯塾大阪支部修練の続きです。

練気武颯拳

今月のテーマの「寝技」に沿って、
今回はガードポジションからの返しを修練しました。

といってもまずは寝た状態で身体の中の水を動かすという、
見た目には非常に地味な修練から入りました。

二人一組になり片方が仰向けに寝ます。
そして、もう片方が寝ている相手の肩を下から持ち上げます。

この持ち上げられた肩を、
脱力して身体の水を集めることで非常に重たいものとするのです。

今回の修練は、
この「肩に水を集める」ということが大基本になっていました。

ということで、頭を上げた状態から下しながらだったり、
膝を立てた状態から倒しながらだったりと、

少しずつ形を変えて、
「身体中のより多くの水が集まる」
ように修練しました。

この修練をしていると、肩を持ち上げられるときに、
自分の体が足先までつながっていることを感じられます。

すると、

「肩だけを持ち上げようとしても、
こんなに大きなものを動かせるわけがない」

ということがはっきりと理解できます。

修練後、師範にそう感じたことを伝えると、

「修練が進めば、
持ち上げようとしている相手さえも自分自身だということが、
本当の意味で理解できるようになるよ。」

ということをご教示いただきました。

その後の修練は、

肩に集めていた水を座った相手に流して転がしたり、
ガードポジションから脚に流すことで相手を返したり、
あるいは腕十字に持っていったりしました。

今回の修練では、
自分自身の体全体を意識できたことが収穫でした。

そしてその次には、

「相手も自分である」

ということを正味感得する修練があることも教えて頂きました。

やっぱり修練は楽しいですね音譜

2011.10.13修練日誌

10月13日の武颯塾大阪支部における修練内容は以下の通りでした。

陳式太極拳老架式

もう一度基本的な注意事項を確認し、
自分勝手な動きを消していくために、
套路を最初からチェックしていただきました。

直立歩⇒予備式⇒起勢⇒金剛搗碓

直立歩から予備式においては、
右脚の踏みで左脚が外に開かれることがポイントです。

自分勝手に左脚を動かすのではなく、
脱力し切った状態で右脚から伝わる勁によって動かされます。

予備式では、股関節の開閉により腕を動かすのですが、
腕を動かすための予備動作をしないように注意されました。

起勢における腕の上げ下げは、
今回最も厳密に教えていただきました。

脚の踏みによって地面から勁を伝えて腕を上げるのですが、
注意していても手先から動こうとしてしまいます。

そうではなく、落下する力で肘が回転しながら滑ることで、
地面からの勁が手先(この場合は手根部)に伝わって手が上がるのです。

続いて下げですが、掌が上を向いて肩の高さまで上がった状態で、
今度は掌を下向きに返します。

この時も、手先から返すのではなく、
落下する力で肘が回転することで掌が返るのです。

人差し指を中心にして肘が下から外を向くように回転する、
そのための肩・胸の脱力感に乗ることで、腕が下がります。

ここから金剛搗碓へ入ります。

右股関節を開きながら左脚重心になります。
それに伴って、両手は右回りの平円を描きます。

そこから今度は右脚に重心を移します。
右脚に乗り切ることで、地面からの力が両腕に弧を描かせます。

右足重心で、臍も最大限右を向いた状態から、
さらに右を向こうとすると、左脚がポンと外側へ放り出されます。

右脚・右腰が限界までねじれることで、
逆に戻ろうとする力が左脚を放り出すのです。

そこでしっかりと右股関節を緩めて腰を沈めながら、
左脚へと重心を移していきます。

この重心移動の力で、両腕が前方に放り出されます。
このときも臍の向きを意識することで、纏糸勁が働きます。

完全に両腕を放り出したら、右股関節を開きます。
すると、左脚が地面を踏み、両腕が手前に戻ってきます。

と、ここまでが今回の太極拳修練の内容でした。
練気武颯拳については次回に。

(以下、次回へ右矢印

2011.10.6修練日誌(続き)

10月6日の武颯塾大阪支部における修練内容の続きです。

練気武颯拳

今月のテーマは「寝技」です。

まずはウォーミングアップ代わりに、
仰向けに寝た状態から単独で打突や蹴りを放つ修練をしました。

次に、二人一組になって、
片方が仰向けに寝て、もう片方が馬乗りになります。

この状態から、寝ている側が肘打ちをしました。
まずは当たらないように気を付けながらひたすら連打!!

次は、肘を両手で押さえられたところから、
重みを使って打ち出します。

そして最後は、馬乗りの相手との打ち合いです。
マスボクシングをグラウンドでやる感じですね。

そしてここから、
「武颯拳」らしい寝技の修練へと進みました。

まずは「寝養体」のチェックからです。

膝を立てて後ろに手をついて座った状態で、
肩口を横から押してもらいます。

動かなければ、押される側の手足を浮かせて押してもらいます。
ここまでは普段修練していればそんなに難しくはありません。

次に押される側と反対の手足を浮かせました。
これは随分と不安定になりました。

相手に近い側の手足とお尻で地面を支えるのですが、
むしろ両手を浮かせて、片足とお尻で支えた方がやりやすかったです。

「寝養体」の最後は両手足を浮かせた状態で押してもらいます。
これは修練中には感覚が取れずにクルクルと回ってしまいました。

これはしっかりと修練しなくてはなりません!!

次はこの「寝養体」横押しの修練を変形させて、
押される力を利用して相手の上に乗ってしまう動きを修練しました。

相手の力を途切れさせることなく使い、
相手が作り出した流れに乗ってポジションを入れ替えるのです。

「流れを切らないで動く」というのは、
武颯拳においてとても重要なポイントの一つです。

他にも、馬乗りになられた状態からポジションを入れ替えて足を取ったり、
合気道で言う起座の状態から相手を転がして上を取るような修練をしました。

割合スッとできるものもあれば、
ほとんど掛かっていないものもあったのですが、

いずれも、「流れを切らないで動く」
という感覚を身に付けるための修練だったように思いました。

私自身の問題点は以下の通りです。

・動きに慣れていないため、重みや合成重心の感覚が薄い
・硬い床に対して脱力して転がることができていない

次回はこれらに注意しながら修練したいです。

以上、2011.10.6修練日誌でした。

2011.10.6修練日誌

10月6日の武颯塾大阪支部における修練は以下の通りでした。

陳式太極拳老架式

「小禽打」という技法を修練しました。

左脚前で右拳を前に突き出した「逆突き」の状態から、
腕の力を抜いて左脚に完全に乗り切ります。
その時、重心移動の結果として右脚が左脚の傍に寄せられます。

次に、左脚の重心を右脚へ踏み替えます。
この右脚の踏みが、「勁」として両手に伝わることで、
手が体の前に上がってきます。

最後に、左脚から前に移動しながら、
「勁」の通った右手の指で突く動作をします。

チェックポイントは大きく分けると、

・右脚の踏み替えによる「勁」が両手先まで伝わっているか

・移動しながら突き出す際に「勁」が途切れてしまっていないか

の2点です。

ただし昨日の修練では、
「勁」を手先まで伝えるための「肘」の使い方を重点的にやったため、
それだけでかなりの時間を使いました。

茂呂師範からは、

「勁功をしっかりとやりこまないと、その先の気功・意功には進めない。」

「地面からの力を感じるよう、意識を向けて修練しなさい。」

とのお言葉をいただきました。

私自身が茂呂師範の技を受けて実感したことは、
やはり「末端は最後に動く」ということでした。

「勁」がしっかりと伝わることで、
手先は「勁」に動かされるのです。

今まで何度も言われていたことですが、
改めて意識しなおす必要を感じました。

練気武颯拳の修練については改めて書くことにします。

(以下、次回へ右矢印

2011.9.25修練日誌


9月25日の日曜日、
武颯塾大阪支部にて月例の集中修練がありました。

茂呂師範に東京よりお越しいただき、
午前10時から午後5時までみっちりと稽古をつけて頂きました。

午前の部は、「練気柔真法」という、
武術のエッセンスを抽出した身体運動の基礎を修練しました。

基礎とは書きましたが、今回取り上げた動きは

「脚を前後に開いてしっかり立っている相手を人差し指だけで押して動かす」

というとても基礎とは思えないものでした(笑)

最初はやはり難しく、
人差し指が曲がったりして痛かったのですが、

午前中の修練が終わるころには、
多くの修練性ができるようになっていました。

こういう状態を師範曰く、
「今だけ達人」と呼ぶそうです。

なんてピッタリビックリマークなネーミングでしょう。

私も翌日に同じことをしてみたら、
かなり違った感じになっていました。

午後の部の前半は「練気武颯拳」の時間です。

今月のテーマである「投げ」の修練を、
合気道的な「天地投げ」「四方投げ」「小手返し」などの形で修練しました。

とはいえそこは「練気武颯拳」
ただ形が出来れば良いというわけではありません。

事前に打突の修練をすることで間合いの感覚を養い、
さらに相手に一定の圧をかけながらまとわりついて動く修練により、
「合成重心」の感覚をつかんでいきました。

それらの感覚を十分に感じたうえで、
「脱力」して「合成重心を動かす」ことで相手を投げるのです。

私個人的には、
相手の突きに対して何気なく身体を寄せる師範の動きが、
大変興味深く、また難しいと感じました。

最後の修練となる午後の部後半は、「練気杖術」でした。

まずは基本形を何本か振った後、
杖先へ「重み」を流す修練へと移りました。

まずは相手に杖先を持ってもらい、
そこに向かって重みを流します。

見た目では杖はほとんど動かないのですが、
持っている相手は後ろに動かされてしまいます。

杖という物体を押し付けるのではなく、
杖を介して「力の流れ」を伝達するのが目的です。

それがある程度できるようになると、
今度は相手の持った杖に対してこちらの杖から重みを伝えます。

そしてさらに、
杖で相手を崩す修練へと進みました。

私自身の最近のテーマとして、
「相手の重心を揺らす」ということを修練しているのですが、

今回の杖の修練中に、
「自分の杖と相手の杖を介して相手の重心を揺らす」
という経験が何度かできました。

これも残念ながら「今だけ達人」みたいなものですが、
感覚が残っているうちになんとかものにしたいと思っています。

今回の集中修練は初参加の人が1名と、
名古屋支部からの参加が2名ということで、
普段組まない相手と修練することができました。

おかげさまで、
普段気付かない自分の癖や力みに気づかせて頂きました。

この場を借りてお礼申し上げます音譜

2011.9.15修練日誌(修練生向け、続き)

9月15日の武颯塾大阪支部修練日誌の続きです

練気武颯拳

今月のテーマである「投げ」を、
今回も違った角度から修練しました。

修練はすべて、二人一組の相対修練です。

まず最初に行ったのが、
向き合った相手に対して片足で5本ずつ蹴りを出す修練でした。

ポイントは、5本出し終わるまで蹴り足を地面に下さないこと。
さらに、上段への蹴りを最低1本は出すこと。

この修練の目的は、
腹背と股関節周りを緩めること。

さらにこの後、
構えた相手の腕にこちらの手をかけた状態で同じことをやりました。

続いて、構えた相手の前足鼠蹊部近くにこちらの前手の前腕を載せ、
前足膝近くを後ろ手で触れた状態で相手を倒す修練をしました。

大腿部を取りに行く片足タックルに近い形ですが、
相手の脚を引き抜いて倒すのではなく、
合成重心を意識して、「揺れ」「重み」を伝えて倒します。

次のステップは、倒した相手にくっついたまま転がり、
そのまま固め技に入ってしまうというものでした。
倒しながらも合成重心の意識を切らない修練です。

そして今度は、受ける側の修練です。

前脚を取られた側が相手に倒されながらも合成重心を制して、
一緒に崩れながらも脚を取りに来た相手が下になるように倒れます。
倒されながらも、合成重心の意識を切らない修練ですね。

そしてその感覚がつかめると、
今度は自分は倒れずに、脚を取りに来た相手だけを倒します。

さらに次は、脚を取りに来た相手を、
脚を取る前に両手で床に向かって潰してしまいます。
触れる前から合成重心を意識する修練でした。

あといくつかのバリエーションを修練したあと、
最後に突きを捌いて投げる修練をしました。

最初は肩口を触りに来る相手を投げるところからはじめ、
通常の速度で踏み込んで逆突きを撃ってきた相手を投げるところまでやりました。

離れている相手との合成重心をどれだけリアルかつ正確に感じ取れているか、
さらにはコントロールできるか、という修練でした。

最近の私自身の修練テーマとして、

「普段通りの意識で脱力する」
「できるものだという気分で技をかける」

ということに取り組んでいるのですが、
今回の修練では残念ながら難しかったです。

日々、脱力あるのみですね。