最近の修練で感じることは、
「現状を知る」
ことが本当に大切だということ。
武術の技を掛けるという状況においては、
どうしても相手をどうにかしようとしてしまいます。
それでうまくいかなくて力を抜こうとすると、
今度は自分が無くなってしまう。
ここが脱力修練の難しいところだと思うのです。
これは結局、
「相手を動かす」
という意識の表裏。
この前提となる意識が変わらない限り、
「力む」か「腑抜ける」かの二者択一になってしまいます。
それなら当然、
筋力でやった方が強い。
力を抜いたら弱くなってしまうという感覚は、
「相手を動かす」
という意識においては当たり前のことなのです。
しかし事実として、
脱力して常人離れした能力を発揮する人がいる。
そういう人たちは、
本当に年齢や性別に関係のない「力」を使っています。
「脱力しているから強い人」と、
「脱力しようとすると弱くなる人」がいるわけです。
この差は一体どこにあるのでしょうか?
私はそれが、
「意識の違い」
にあると感じています。
もちろん武術の技ですから、
結果的には相手が倒れるようなことになるわけです。
ただ、そこに至る過程というか、
意識の在り方が異なるのです。
普通は先に書いた通り、
「相手を動かす」
ということだけにフォーカスしてしまいます。
これは腑抜ける場合も同じです。
「相手を動かす」という前提の中で力を抜くから、
結果として腑抜けてしまうのです。
修練において技が上手く掛からない時は、
このような意識になってしまっています。
ところが上手くいくときはそうではない。
上手くいくときは、
「相手を動かす」
ということよりも、
「今、自分と相手はどのような関係にいるのか」
ということに意識が向いています。
これはつまり、
「現状を知る」
ということをしているわけですね。
そして武術の技においては、
形が刻々と変わるわけです。
それはつまり、
相手との関係性が変わり続けるということ。
「途中までは上手くいくけれど、
最後まで技がかからない」
という場合は、
この変わり続ける関係性を捉えきれていないのです。
だからこそ動きを一連の技として成立させるためには、
「現状を把握し続ける」
ということが絶対に必要なのです。
そしてこれは、
「目標達成」
についても同じことが言えると思います。
以前に立てた目標が、
今の時点でもゴールであるとは限らない。
現在まで続けている努力が、
今後も必要なものだとも限らない。
「行動する自分」と「現状把握する自分」
この両立が大切なのだと、
今、切実に感じています。
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