脱力トレーニング 魅力的な所作

 

学生時代、

落研に入っていた彼女。

先日、久しぶりに寄席を観にいったらしい。

大阪、天満の繁昌亭。

そう言えば、

神戸の新開地にも作るって話があったような。

どうなったんだろう?

 

 

私は普段から寄席を観に行くような落語ファン、

ではない。

テレビでもほとんど見ない。

ただ、初めて生で見た時のことは覚えている。

扇子を茶碗に見立ててお茶を飲む、

ただそれだけの所作に惹きつけられた。

 

 

魅力的な所作とそうじゃないものの違い。

それは、含まれる情報量の差にある。

見ている側が受け取る情報量が多いほど、

その所作は魅力的に映る。

つまり、自分を魅力的に見せようと思ったら、

所作に込める情報量を増やせばいい。

一つ一つの所作において、

何を感じ、意識しているのか。

 

例えば先の、お茶を飲むシーン。

お茶は茶碗にどれだけ入っているのか?

重さは?

温度は?

茶碗の硬さや表面の質感は?

そういった様々な状況に意識を向けてみる。

これが最初のステップ。

さらに次は、

その時のカラダの感覚に意識を向ける。

茶碗の重さをどこでどうやって支えているのか。

お茶の温かさが口から喉、お腹へと広がる感覚。

こうやって意識を向けてみると、

ただお茶を飲むだけの所作からも、

様々な情報のやり取りができる。

 

落語や演劇、お茶やお花の稽古に限らず、

上達する人はこの意識の向け方が上手い。

そして、地道にやり続ける。

トレーニングなんて、

みんなそんな地味なもの。

でも、その積み重ねがいつしか、

ただお茶を飲むだけで惹きつけられる、

魅力的な所作を生むんだ。

 

 

脱力トレーニング Take turns

 

今日は順番の話。

たまに書くけど、

俺は順番を抜かされるのがキライだ。

いや、好きな奴はいないだろうけど。

もちろん仕方ない場合はある。

2車線から1車線に合流するような場合だ。

それは交互に進んで行くしかない。

ただ、明らかにわかる順番を抜かす奴がいる。

老若男女問わず。

アタマおかしいと思う。

 

 

だけど、もっとひどい事がある。

例えば駅のホーム。

自分が一番に来て並んでたら、

短い編成の電車で並んだ場所には止まってくれず、

自分が乗ったのは一番後、

なんてパターン。

似たようなことは、

スーパーのレジなんかでもあるよね。

そんな時に思わない?

「正しい順番はこれじゃないだろ‼︎」って。

 

 

で、カラダの話。

カラダを動かすのにも正しい順番がある。

動画では相手の手首を掴んで倒してるんだけど、

この時の動く順番が重要。

普通は掴んでいる手をいきなり動かそうとする。

このやり方では、腕の力しか使えない。

そこで順番を変える。

カラダの中心を動かすことで、

結果として手を動かす。

手はあくまで、

中心の動きによって動かされるだけ。

すると手を動かすことにおいても、

全身の力を使うことができる。

結果、より大きな力を発揮できる。

 

中心の動きが末端へ伝わる。

達人は別として、

まずはこれが正しい順番。

だけどほとんどの人は、

この順番を守れていない。

手足が中心の順番を抜かしていることにさえ、

気づいていない。

だから、正しい順番で動かすだけで、

思ってもみない力が出せたりするわけ。

Take turns.

 

 

 

脱力トレーニング 腕相撲

 

修練生に、

「腕相撲とか強いですか?」

なんて聞かれたから、

何年か振りにやってみた。

 

 

やってみて分かったことは、

アームレスリングだとルール違反になっちゃうw

私の技術レベルでは肘が動いてしまうから。

ただ、この細い腕で普通に筋力で頑張るのとは、

違うチカラを使えるなって思った。

 

 

動画で見て欲しいポイントは、

相手の腕と肩の位置関係はほとんど変わってないこと。

これは、私が相手の手を動かそうとしていないから。

相手は私の手を動かそうとしてるけど、

私は相手をカラダごと転がそうとしている。

だから、相手の手と肩の位置関係が変化しない。

 

普通の腕相撲だと、

負ける側の手が動かされる。

お互いに相手の手の甲を台に付けようとするから、

当然といえば当然。

ただ、組んでみると、

カラダがそうは動きたがらない。

それだと技が掛からないことを、

体感で分かってるから。

自分の重心を動かすことで、

相手の重心を崩す。

そうやって意識すれば、

腕相撲さえも脱力トレーニングになる。

 

 

脱力トレーニング モノと同じように腕を動かす

 

「モノをうまく使うコツは、

自分のカラダの延長として動かすこと」

というようなことを、

以前に師範から言われたことがある。

別に師範からじゃなくても、

同じような話は聞いたことがあるかもしれない。

例えばお箸。

違う文化の人から見れば、

「なんて難しいことをやってるんだ‼︎」

って言われることだけど、

私たちにとっては使えることが当たり前。

それは、手や指の延長として使う感覚があるから。

 

 

野球やテニス、ゴルフなんかでは、

「腰で振れ」と言われる。

腕の力だけで振ってしまうと、

「手打ちになってる」とかなんとか指導される。

バットやラケット、クラブなどが、

腕じゃなくて腰で振るものだということは、

スポーツをやってればみんな知ってる。

 

 

逆説的に考えてみよう。

お箸が手や指の延長だとしたら、

バットやラケット、クラブは腕の延長と言えるよね。

で、その腕の延長を振る時には、

腕じゃなくて腰で振った方が良いことは、

みんなの共通認識だった。

じゃあ、腕自体を振るとしたら、

どこで振ったら良いのだろうか?

そう、腰で振ったら良い。

 

さて。

例えとして分かりやすいから、

バットなどのスイングの話をしたけど、

別に振るという動作に限った話じゃない。

腕を動かすこと全てにおいて、

腕を腕で動かすことは、

運動力学的に不合理なんだ。

つまり冒頭のセリフをひっくり返して、

「腕を上手く使うコツは、

モノと同じように動かすこと」

とも言えるってわけ。

面白いよね。

 

 

脱力トレーニング 2本の足で立つ

 

学生時代から武術をやってるけど、

蹴り技はずっと苦手だった。

中学、高校とサッカーをしてきたにもかかわらず。

だから突きの修練は繰り返しやったけど、

蹴りの修練はサッパリ。

今思えば、本当に何も分かってなかったと思う。

 

 

武術の世界には、

「立ち3年」という言葉がある。

ちゃんと立てるまでに3年の修練がいるって事。

それだけ、立つことは難しい。

物が安定して立つためには、

最低3点で支えなきゃならない。

にもかかかわらず、

人は2点の支えで立っている。

なるほど、難しいわけだ。

 

 

そこで、蹴り技の修練が役に立つ。

ちゃんと蹴れるということは、

足に体重を正確に載せられるということ。

しかも蹴り技は基本的に片足立ちになる。

1本の脚でカラダを支えながら、

もう一本の脚を自在に扱う。

2本脚で立つことよりも、

さらにハードルを上げてるわけ。

そんな蹴り技の修練は、

そのまま立つことの上達へとつなげられる。

 

繰り返しになるけど、

2本脚で立つことは本来、

とても高度な技術。

多くの人は普通に立っているから、

そんなこと考えもしないけど、

立つことの上手い下手には大きな差がある。

うまく立てるようになれば、

その分だけ立って行うことすべてが上手くなる。

立って行うことすべてが楽になる。

立って行う、ありとあらゆることが。

 

立ち方、学んでみない?