気付いているけど、気にしない

 

今、これを読んでいるあなたの状況はどんなものだろう。

仕事帰りの電車の中で、暇つぶしに。

寝る前、布団に入って寝物語に。

ちなみに書いている私は、修練前の夕方、

三宮駅東のモスバーガーの一席にいる。

ホットドッグと紅茶という、

組み合わせとしてはいささか微妙な注文をして。

じゃあ、ホットドッグに合う飲み物って何?

ビール?コーラ?

とりあえず炭酸系なら何でも良い気がする。

紅茶やコーヒーは少しハズれると感じるのは、私だけだろうか。

 

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それはさておき、このブログを読むためにはおそらく、

あなたはスマホかパソコンに触れているだろう。

それには、どんな感触がある?

モスバーガーでiPad miniを持っている私の手には、

縁の角ばった感じや、材質の硬い感じ、

持ち続けると意外に重い質量が感じられる。

iPadは単体だと軽いけれど、

カバーを付けると途端に重くなるのが珠にキズ。

スリープ機能付きで軽くて、なおかつ衝撃吸収するカバーが欲しい。

と、私が感じていることを言葉にするとこんな感じになる。

あなたも、私と表現は違っても、

なにかの感覚をその手に感じているハズだ。

そしてその感覚はあなたの気持ちや考えに影響する。

意識しているかどうかに関わらず。

 

さてここで一つ、お願いがある。

今、手に触れているスマホやキーボードから、

手を離して欲しい。

もちろん、床にスマホを落としてくれとは言わない。

ただ一度、近くに置いて欲しいだけ。

そして、空になった手の感覚を感じてみよう。

どう感じるか、は人それぞれ。

何も持っていない手はこんな感じがするというだけだ。

ではあらためて、スマホやキーボードに触れる、と思ってほしい。

まだ触れちゃダメw

手を近づけるけど、触れない。

この時の手には、どんな感覚を感じるだろうか。

おそらく、空の手とは違う感じがするだろう。

感覚の鋭い人ならすでに、

スマホの触感に近いものを感じているかもしれない。

 

このように、触れる前に触感を感じることで、

私たちの脳はスマホを持ち上げる準備をしている。

その触感に合わせて、身体も態勢を整えてから、動く。

というのが普通の人の運動のやり方。

これは力の調節においては有効だけれども、

自分の動きを制限してしまうという副作用もある。

触れる前、そして触れてから感じる触感によっては、

身体が先に、動くことを諦めてしまう。

武術の練習で言えば、踏ん張って立っている人を見た途端、

あるいは触って固いなと感じた途端、

技を掛けることが出来なくなる。

だから上達のためには一度、

この運動のやり方をやめなければならない。

 

無意識に行っている準備を、やめる。

それは、見たものに対する扱い方を変えること。

相手が踏ん張って立っている事は、見れば分かる。

にもかかわらず、まるで空気を撫でるように、

ただブランブランの腕で技を掛ける。

何事も無かったかの如く。

エアギターならぬ、エア武術。

いや、ここは普通に「型」でいいか。

相手の状態には気付いてるけど、全く気にしない。

相手が踏ん張っている?でもそんなの関係ねー!!って感じ。

これは相手を無視するのとは違う。

見てみないふりをするのでもない。

固まった相手がいるにもかかわらず、空気のように扱う。

文字にするととっても失礼なことをしているみたいだけど、

上手くいくと不思議なくらい簡単に技が掛かる。

あっけないくらいにあっさりと人を転がすことが出来る。

今まで苦労してきたことは何だったのか!?ってくらいに。

あ、間違っても今、手に持っているスマホで実験はしない方が良い。

どこかに飛んで行っても、自己責任ということで。

 

気付いているけど、気にしない。

こんなことを考えながら修練していると、面白いことに気が付いた。

「人を柔らかいものだと感じられると、不思議と優しい気持ちになる。」

ポイントは、触感にある。

空気のように人を扱う方が、実は大切にすることが出来るというw

これは、武術の技がかかることと同じくらい、

私にとっては大きな発見だった。

…でも、気にしないでおこう。

 

中心感覚、あるいは手の再発見

 

「気持ち悪い」

初めて修練に参加する人に、よく言われる(笑)

先日、初対面の方4人に、

武颯拳をお伝えする機会があった。

そういう時には大体、カラダをグニャグニャと動かすところから始める。

肩甲骨、鎖骨、肋骨、背骨、骨盤。

それらを出来るだけバラバラにするように。

肩や腰をガッチリ掴まれても、

まるで抵抗なく動けるように。

ちなみにこの4人、本当に熱心な人ばかりで、

修練は心から楽しめた。

そしてそんな気持ちの良い人からも、

ちゃんと頂いた「気持ち悪い」のお言葉。

実は彼らだけでなく、私自身も感じている。

ただ、その感じ方は真逆を向いていると思う。

「こんなにグニャって気持ち悪い」

のか、

「この程度しか動かなくて気持ち悪い」

のか。

どっちにしても、「気持ち悪い」ことには変わりがないか。

 

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この、グニャグニャ動く目的の一つは、

「中心感覚」を身につけることにある。

手足という末端を直接的に動かさない。

腰やお腹、股関節といった、

身体の中心を柔らかく動かすことで、

結果として手足が動く。

文字にすると簡単に思えるかも知れないが、

ハッキリ言って思い通りにはならない。

例えば手が動くように腰を動かそうとしてみる。

途端、自分の手が何処にあるのか分からなくなる。

いきなり手を動かすというやり方においては、

身体に麻痺のある人以外はみんな、

自分の手がどこにあるかを知っている。

けれども少しだけ動かす順序を変えただけなのに、

手の存在を見失ってしまう。

自分のカラダがブラックボックスだと気付く。

その中を手探りで、いや、手を探すのに手探りは出来ないな、

とにかく自分の手を見つけ出さないといけない。

腰やお腹をグニャグニャと動かしながら、

身体の中心と関連付けた形での手を再発見する。

そんな作業を楽しめるかどうか。

それが上達への分かれ道。

再発見することができた時。

その手はきっと、武装色の覇気を纏っている。

 

私自身はというと。

駅のホームで電車を待ちながら。

コンビニの雑誌を立ち読みしながら。

エレベーターの行き先階表示を見ながら。

気付いたら腰をグニャグニャと動かしている。

確かに、気持ち悪い(笑)

けど、そんな気持ち悪い自分が結構好きだったりする。