脱力修練:「膝落」

武颯塾神戸修練会で行っている修練の紹介です。

これは「膝落」と呼ばれる技法で、
股関節を中心に一気に脱力して生じた力を相手に伝えます。

やってみるとわかると思うのですが、
真っ直ぐに立っている相手を真下に崩すのは、
そう簡単なことではありません。

もちろん重心を前後左右に外してしまえば別ですが。

真下に崩されるとわかっている相手を、
わかっていてもなお崩せるのが「膝落」という技法なのです。

私の技術では残念ながら、
この状態で相手を倒してしまうところまではいきません。

ただここで修練したいことは、

「手で押さない」

ということ。

そして、

「相手を頭から足まで感じる」

ということ。

あとは「支点」がどこにあるのかをしっかりと意識します。

そうすることで、
自分が沈んだことが相手を沈める力となるのです。

脱力修練の目的はただ技を掛けることにあるのではなく、
その為の意識の在り方を学ぶところにあります。

このような技の修練を行う中で、
自分と相手をより深く認識することを学ぶのです。

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触れた手を「支点」として扱う

ここのところ続けて書いている、
「支点を意識する」修練の例を紹介します。

動画自体はただ相手を押しているだけに見えるかもしれませんので、
簡単な説明をします。

この修練の条件は以下の通りです。

1.足を動かしてはいけない

2.相手のボディーは突いてOK

つまり表面的な目的は、

「相手からは突かれないように相手を突いたり動かしたりする」

というものになります。

接近した状態で位置を変えられない以上、
突かれないようにするためには相手の手に触れていることが重要です。

自分が突くために相手の手を放してしまうと、
相手からも突かれる可能性が出てきてしまいますから。

ですからここでは、

「相手の手に触れたままで突ける、あるいは相手の身体を動かせる」

という状態になりたいわけです。

相手の手に触れた接点を「作用点」として動いてしまうと、
相手の身体を動かすことは非常に難しくなります。

相手がよほど自分の力に正直に抵抗してくれない限り、
手は動かせても身体は動かせません。

そこで、接点を「支点」として動くことが必要なのです。

相手の手に触れた接点を「支点」とすることで、
作用点を「相手の重心」におくことができます。

すると「レバレッジ」が形成されるので、
「自分が動く」ことが即、
「相手を動かす」ことになるのです。

もちろんある程度の自由攻防ですので、
「支点」となる相手との接点は動き続けます。

「接点」の「支点化」が進んでいないと、
すぐに今までの習慣で「作用点」として扱ってしまいます。

それをいかにして「支点化」の意識を持ち続けるかが、
この修練の本当の目的なのです。

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「『自分』なんて存在しない」=「『自分』しか存在しない」

ここの所、運動における「支点」の重要性について、
繰り返し書いてきました。

「支点」を意識して動くことで、
「レバレッジ」の効いた合理的な身体運動が行える、
というのがここまでの話です。

もちろんそれだけでも素晴らしい効果なのですが、
「支点」を意識することのメリットはそれだけではありません。

というよりはむしろこれから紹介するメリットの方が、
現代においては必要とされているかもしれません。

説明しましょう。

「支点」を意識して動くときに何が起きているかというと、
「レバレッジ」全体を意識できているのです。

「支点」という概念はそもそも、
「力点」と「作用点」が無ければ存在しません。

「力点」と「作用点」があって、
そこに「レバレッジ」を効かそうとして初めて、
「支点」という概念が生まれるのです。

それに対して「力点」と「作用点」は、
それだけでも存在することができます。

「レバレッジ」を効かそうとしなければ、
動かす対象とそこに触れている部分が普通は意識されます。

つまり「力点」や「作用点」を意識するだけでは、
「自分」が何かをするという認識を越えられません。

「支点」を意識することで、
「力点」と「作用点」も含めた「全体」を意識できるのです。

それは、「自分」も「相手」も同じ「レバレッジ」を構成するものとして、
「並列」に置くことができるということ。

「レバレッジ」全体の中の「自分」というものを、
客観的に捉えることができるということなのです。

おそらくこの感覚が主になれば、
「自分」というものの定義が変わることでしょう。

より一層、
「自分」と「相手」を「同じもの」として感じるようになるでしょうから。

そうなれば、

「『自分』なんて存在しない」=「『自分』しか存在しない」

という禅問答のような世界が開けるのかもしれません。

すこし話が飛びましたので戻します。

「支点」を意識して動くことはすなわち、
「全体」を意識することにつながります。

そして「全体」を意識して動いている時は、
「自分」を客観的に「対象化」できているのです。

この「自分を対象化する」という感覚は、
訓練すれば「思考」「感情」「気分」に対しても広げられます。

「思考」「感情」「気分」が、
イコール「自分」ではなくなるのです。

すると今まで振り回されてきたネガティブな気持ちからも、
距離を置くことができます。

それらを感じなくなるわけではないのですが、
そこにどっぷりと浸かってしまうことを避けられるのです。

このことが「支点」を意識して動くことの、
現代における最大のメリットだと思うのです。

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「レバレッジ」:接点を動かそうとしない

「支点」「合成重心」と書いてきましたが今回は、

「接点」

について書きます。

「接点」とは文字通り接している点、
自分と対象が触れている場所のことです。

対象を動かそうとしたとき、
普通はその対象との「接点」を動かそうとしてしまいます。

多くの場合、対象全体を意識することもなく、
ただ「接点」を押したり引いたり持ち上げたりしてしまう。

でもそれでは、
力の伝達が非常に浅くなってしまうのです。

ではどうすればいいのか?

「支点」や「合成重心」を意識して動いてみればいいのです。

前回、前々回書いたように、
「支点」や「合成重心」を動かそうとしてはいけません。

その時点で「てこ」の原理が働かなくなるから。

「支点」「力点」「作用点」が明確になるから、
「てこ」の原理が働くのです。

流行りの言い方をすれば、
「レバレッジが効く」ということですね。

もちろん実際に対象と自分が動いた時には、
その「絶対位置」は動くのですが、
対象との「相対位置」は動かさないのです。

つまり、相手と結んだ「関係」そのものは変えない。

そして、相手と「関係」を結んでいる最大のポイントが、
「接点」なのです。

ということは「接点」は、
「支点」や「合成重心」形成するためのもので、
そこを動かすものではないのです。

「接点」からの情報で相手を知って、
相手に触れている自分をも知るのです。

ですから例えば手や腕で触れているとすれば、
そこで必要とされているのは、

「運動器」

としての手や腕ではなく、

「感覚器」

としてのそれなのです。

手や腕を「運動器」ではなく「感覚器」として扱う。

そのために必要なことは、
繰り返しになりますが、

「脱力」

なのです。

「脱力」して相手に触れることで、
相手との「接点」から相手と自分を認識するのです。

それは言い方を変えれば、
「支点」「力点」「作用点」を明確にすることであり、
「合成重心」を認識することなのです。

それが武術であれば、
自分が動いたことが即ち技になりますし、

整体やマッサージであれば、
表面は痛くないのに深部にまで力が届く施術になるのです。

スポーツにおいても施術においても、
本当に上手な人はこれが出来ています。

顕在意識で認識しているかどうかはともかくとして、
「レバレッジ」の効いた動きをしているのです。

ただこれは、
頭で理解したからといってすぐにできるものでもありません。

理解したことを実践して感じ取り、
それを反復して身体に染み込ませなければ使えないのです。

一生懸命取り組んでいることがあるのに、
思うような結果が出ないという方。

一度、力を抜いてみませんか?

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合成重心を意識する

昨日は「支点」を意識するという話でしたが、
今日は「合成重心」というものを考えてみましょう。

私個人の感覚で言えば、
これはほぼ同じことだと感じられます。

「支点」を意識するためには、
「力点」と「作用点」を認識する必要があります。

同じように「合成重心」を意識するためには、
「自分」と「相手」を認識する必要があります。

「自分」だけでも「相手」だけでもダメで、
「自分」と「相手」を「全体」として意識できていることが、
いずれにおいても大切なポイントなのです。

勘違いしやすいのは、
ただ「自分」と「相手」の真ん中を意識するのではないということ。

同じように「支点」や「合成重心」の位置を認識していても、
そのベースとなる意識の範囲によって、
結果としての力や技は全然異なったものになります。

「相手」を知り、「自分」を知る。

どれだけ意識を広げられるか、
また、深められるかが結果を大きく左右するのです。

これは、武術だけに限ったことではありませんよね。

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「支点」を意識する

最近の修練で感じることの一つに、

「支点」

を明確に意識することの必要性があります。

今月の武颯塾の修練テーマが

「投げ」

であることがそれを感じている理由なのですが、
「支点」と「投げ」の間に一体どのような関係があるのでしょうか。

武颯塾で修練する「投げ」はほとんどの場合、
脚を掛けたり、腰にのせたりすることはありません。

なぜならそれは、
「脱力」していなくても投げられるから。

「脱力」が修練の基本であり目的でもある武颯塾においては、
そのような「投げ」では修練にならないのです。

というわけで、一般的な見方からすると、

「そんなやり方で投げられるわけがない」

と思えるような「投げ」を修練します。

もちろん今までの常識が頭に染みついているので、
いきなり上手くは出来ないです。

ただ、意識するポイントを明確にすることで、
修練の上達スピードは全然異なってきます。

そのポイントの一つとして、

「支点」

が挙げられるのです。

例えば何かを動かそうとするとき、
あなたはどこを意識していますか?

一番多くの方は、

「特に意識していない」

と答えるのではないでしょうか。

何かの身体運動に取り組んでいる方だと、

「動かす物の重心」

であったり、

「自分の中心」

と答える方もいらっしゃるかもしれません。

いずれも間違いというわけではありません。

何を動かすのかという、

「対象を明確化する」

ことも大切ですし、

どこから力を発揮するのかという、

「力源を認識する」

ことも重要です。

ただこれだとどうしても、

「自分」と「相手」

がいる関係になってしまうのです。

そこで一つの提案として、

「支点」

を意識してみてはどうかというわけです。

先の例で言えば、

「動かすものの重心」は「作用点」

となりますし、

「自分の中心」は「力点」

になります。

「作用点」を意識しすぎると「相手本位」に陥りがちですし、
「力点」を意識しすぎると「自分勝手」になりがちです。

そうではなくて、

「自分」と「相手」

の全体が動くときの、

「支点」

を感じるようにするのです。

そして、

「支点」

の相対位置を動かさないように動いてみてください。

やってみるとわかります。

今までとは全く違う種類の意識や感覚を感じられます。

この、

「今までと違う感覚」

を感じられることが、
脱力修練の醍醐味なのです。

自分の「感覚」が変わっていくことで、
同じような出来事の繰り返しに退屈することなく、
毎日を新鮮に感じることができるのです。

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脱力の勘違い

武颯塾の修練はすべて、
「脱力」を基本としています。

ですが「脱力」とか「力を抜く」というと、
ただ単にフッと力を抜くだけで相手を動かせると思ってしまいがちです。

もちろん修練が進んでいけば、

「何もしない」

ことが最良の結果を生むようになるのです。

武颯塾の修練は、

「元々できること」

を阻害しているものを取り去るだけなのですから。

しかし現実問題としてそこまで修練が進んでいない私たちの場合、
本気で抵抗する人を動かそうと思うとそう簡単にはいきません。

だからといって力を入れるわけでは当然ないのですが、
相手が倒れるにはそれ相応の「理由」が必要なのです。

例えばしっかりと掴まれた腕を、
持ち上げたり下したりするとします。

掴み方にっては、
相手の全体重がかかるような場合もあります。

それにもかかわらず腕の上げ下ろしをする際に、
どれだけ「何もしないか」が出来栄えの指標ではあります。

しかしそこが勘違いしやすいポイントでもあると思うのです。

たしかに目標は「何もしない」ということなのですが、
だからといって「何も起きていない」というわけではないのです。

相手の全体重がかかった腕を持ち上げるには、
それだけの「力」は発生していなければなりません。

それが筋力でないことは何度もお伝えしてきた通りなのですが、
では、いったい何が起きているのでしょうか?

修練において腕の上げ下ろしをする際のやり方の一つとして、
まずは身体を沈めたり立ち上がったりを行います。

もちろんその動作にも上手下手はありますが、
ただそれだけで「力む」必要はありませんよね。

普段しゃがんだり立ったりするだけのことを、
「力んでいる」とは言わないですから。

腕を持たれていても関係なくしゃがんだり立ったりが出来るようになると、
今度はそれを動かずに行うのです。

すると身体自体は動くことなく、
でも内側には同じだけの運動量が発生している状態になります。

この時に腕の力が抜けていれば、
全身が動くだけの運動量が腕に流れていきます。

なぜなら、人は「流体」だから。

人体の60%から70%は水分でできています。

そのため発生した力は「波」として、
身体の形を変えなくてもちゃんと伝わるのです。

つまり、

「全身を動かすだけの力」

が腕に流れているから、

「全体重をかけた相手」

も動かすことができるというわけなのです。

言葉にすると当たり前に思えることなのですが、
私自身が勘違いをしていたことなので、
あえてここに書こうと思った次第です。

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