ノーベル文学賞発表に村上春樹を思う(「壁と卵」について考える)

ノーベル文学賞発表に村上春樹を思う(「壁と卵」について考える) 

こんにちは、ワタルです。

10月9日にノーベル文学賞の発表があり、

村上春樹さんが受賞を逃したことを先ほど、知りましたw

というわけで今日は、

私が10代後半から20代半ばまで大きく影響を受けた、

村上春樹さんについて思うところ書きます。

 

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村上作品との出会い

村上春樹さんの作品と最初に出会ったのは高校2年生の時、

クラスメイトに「ねじまき鳥クロニクル」を紹介してもらったのが、

そのきっかけです。

当時の私はクラスにうまくなじめず、

一人で過ごす時間が多くありました。

(原因は多分に私の側にあるのですがw)

大人になった今では「一人」だということは至極当たり前のことで、

それを受け入れて初めて彼女や友人とも付き合えると思っています。

また、このような時期があったからこそ、

今、こうやって真剣に武術に取り組んでいるのだとも感じます。

ですが高校生の私にとって、

教室という空間で一人で過ごすのは忍耐を強いられるものでした。

「俺は一人でも全然かまわない」という強がりと、

「まわりと仲良くしたい」という本音とが常に葛藤していたのです。

残念ながらというかなんというか、

強がりの方が勝ってしまうのがこの年頃なわけですが。

そんな状況だったので、

「小説を読む」という行為はまさに当時の私にうってつけ。

すぐにその世界にのめり込んでいきました。

 

人付き合いの苦手な主人公

「ねじまき鳥」を読み終えた後、

それまでの村上さんの作品にも次々と手を伸ばしました。

「風の歌を聴け」

「1973年のピンボール」

「羊をめぐる冒険」

「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」

「ダンス・ダンス・ダンス」etc.

村上さんの作品に出てくる登場人物のほとんど、

とりわけ主人公においてはあまり人付き合いがうまくないですよね。

初期の作品の主人公は一人でバーに行って、

ビールとオムレツを頼んで夜の時間を過ごす。

内側には喪失感や欠落感を抱えたまま、

表面上は何事もないかのように。

また、ポジティブな変化というものを、

安易には描かないという特徴もあります。

新しい出来事に巻き込まれるように、

冒険らしいことはするのだけれど結局、

「ああ、僕はやっぱり僕だった」

といって話が終わる。

なんていうか、

「変わらない自分への嫌悪と執着」

みたいな相反する感情。

こういうものに当時の私は共感し、

自分を重ね合わせていたのだと思います。

 

変わらないことに共感を覚える

村上春樹さんという作家は、

「エゴの形」を描くのがものすごく上手いのでしょう。

「変わりたいけど、変わりたくない」

「何かが足りない」

というエゴの本質を、

作品を読むたびに見せつけられます。

しかも悔しいことに、それが心地よかったりするw

そんな、多くの人が何らかの形で持っていて、

けれどもあまり真っ直ぐには見たくない部分。

そういう心の奥深くまで潜り込んで何かをすくい上げる作業というのは、

想像するだけでもツラいものだと感じられます。

ですがそのすくい上げたものに多くの人が共感するからこそ、

世界的に本が売れるし、

こうしてノーベル文学賞の候補として毎年取り上げられるわけです。

 

「壁と卵」

そんな村上春樹さんが2009年にエルサレムで文学賞の受賞式で行ったのが、

「壁と卵」と呼ばれる有名なスピーチです。

「高くて硬い壁と、壁にぶつかって割れてしまう卵があるときには、私は常に卵の側に立つ」

という言葉を高くて硬い壁(イスラエル)の目の前で言ったことに、

鳥肌が立つ思いでニュースを見ていました。

詳しくは「壁と卵」の本文を読んで欲しいのですが、

この「高くて硬い壁」について村上さんは、

決して「イスラエル人」を批判しているものではないと説明しています。

一人一人の「個人」は皆それぞれ、

国家や民族や宗教という「システム」に直面している。

この「システム」こそが「高くて硬い壁」であり、

その前に立つ私達「個人」が「卵」だと。

そして、「システム」が私達を利用することを許してはならない、

という言葉がこのスピーチにおけるメインメッセージでした。

 

「システム」と「脳」

「システムが私達を創ったのではない、私たちがシステムを作り出したのだ」

これがスピーチの本論の最後に述べられた言葉なのですが、

よく似た響きを最近読んだ本の中にも見つけました。

その本は、SUPER BRAIN(スーパーブレイン)という「脳」について書かれた本です。

そこで取り上げているテーマは「心と脳の関係」であり、

著者は一貫して「心が脳をつくった」という立場を取っています。

そしてこの本における最大のメッセージは、

「脳に使われるのではなく、脳を使いこなそう」

というものでした。

本によると、私たちの脳は大きく分けて3つの部分から成り立っていて、

それぞれを「新皮質」「辺縁系」「脳幹」という。

各部分の役割としては、「新皮質」は思考を、「辺縁系」は感情を、

「脳幹」は生命維持の本能を担っている。

そして私達自身である「心」はそれらを創り出した存在であり、

決して思考や感情、本能そのものが私達を創っているのではない。

だから、思考や感情、本能に振り回されるのではなく、

それらをどうやって使いこなすかを考えよう、というわけです。

先の村上さんのスピーチにおける「システム」を、

「脳」に置き換えたものと全く同じですよね。

対象は違っても、伝えたいことの本質は同じなのです。

 

両極端の出会い

私が面白いと思うのは、

これを「脳科学者」と「小説家」が言っているということです。

片方は「科学」という「システム」を象徴する立場から。

もう片方は「小説」という「人間性」を追求する立場から。

いわば両極とも言えるそれぞれが、

同じ結論にたどりつく。

東西に分かれて歩き出した旅人が、

地球の反対側で出会うかのように。

だからこそそこに、

「丸い地球」に等しい真実が存在すると感じるのです。

「脳を創りだした私(達)」や「システムを創りだした私(達)」を知覚し、

それが自分であることを明確に認識し実感すること。

高くて硬い壁のように難しくも感じますが、

脱力による武術修練も、目標とするのはそこにあります。

私自身は今、小説を読むことは減りました。

以前よりは自分を客観的にみられるようになったから。

小説の主人公に、自分自身を重ね合わせる必要が減ったからです。

それは他人から見れば大したことがなくても、

私自身としては変化、成長だと感じています。

「歩みは遅くても、確実な一歩を。」

ノーベル文学賞と村上春樹さんの話題から、

そんなことをふと考えさせられました。

 

来年こそは受賞をと、期待しています。

 

 

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